朱塗り本堂が迎える心安らぐお寺。
正幸寺の特徴
寺町通りに位置する静かな鐘撞堂で心を和ませることができます。
上毛電気鉄道の中央前橋駅から徒歩9分でアクセスしやすい立地です。
黒猫がいる可愛い雰囲気の中、浄土宗のご住職による心温まるお経が体験できます。
浄土宗の寺。正幸寺は室町時代後期、文亀元年(1501)に三河国桑ケ谷出身の大譽證榮上人により厩橋城の東南水曲輪(現在の市役所南桃井小あたり)に念仏道場として創建されました。境内には、前橋藩主酒井氏の家老であった高須隼人の墓(市指定文化財)があります。このお寺では、毎朝7時と夕方6時「時を知らせる鐘」を鳴らしており、「前橋の音風景」にも選ばれています。
寺町通りの一角を担う鐘撞堂。
朱塗りの大きな本堂が立派な浄土宗のお寺。入ってすぐ左手にあるお堂では勝軍地蔵が祀られている。なかなかお目にかかることができない仏様なので貴重だ。駐車場あり。
室町後期に厩橋城內に設けられたお堂が、そもそもの始まりとか…。酒井氏の時代に移転拡張されて現在地に…。代赭色の本堂が印象的で、本堂に向かって左側に、前橋藩の歴代の酒井氏の筆頭家老を務めた代々の高須隼人の石殿造りの墓があるとか(探し回ったが分からなかった)。西側の大きな墓地にはカシ、クスなどの大木が繁っていて、まるで森の中に墓地が広がっているよう…一番奥には、並大抵でない太さのクロマツが一本、並大抵でない高さから超然と墓地を見下ろしている。2025/9/21
群馬県前橋市三河町、上毛電気鉄道上毛線/中央前橋駅出口から徒歩9分位にある「浄土宗 正幸寺」さんへ参拝しました。14時に参拝で他の参拝者はいませんでしたのでゆっくり参拝する事ができました。「孤雲山 三宝院 正幸寺」「宗派」 浄土宗「御本尊」 阿弥陀如来「御由緒」室町時代後期の文亀元年(1501年)に三河国出身の大譽證榮上人により厩橋(前橋)城の東南水曲輪(現在の市役所南南桃井小学あたり)に念仏道場として創建された。明暦2年(1656年)に城を拡張する都合から十八郷村(現在の三河町)に移された。その後明治の廃仏、前橋空襲などの戦災により荒廃していた境内も昭和61年(1986年)に本堂を再建、開創500年事業として平成9年(1997年)に灯籠、地蔵堂の復興を果たした。※正幸寺御由緒を簡略「勝軍地蔵尊のお堂」天正年間、徳川家の関東支配と共に厩橋(前橋)城3万5千石の城主として赴任した平岩主計頭親吉公は後嗣がなく、徳川家康公の八男仙千代君を養嗣子として迎え大切に養育していたが慶長5年(1600年)わずか6歳で早世してしまう。親吉公は迫善のため境内に高岳院を健立し勝軍地蔵尊をお祀りした。「高須家墓地」市指定史跡沼田藩真田家が取り潰しになった時の沼田領再検知を担当し公正な指揮ぶりが沼田の人々に感謝された酒井家家老高須隼人一族の墓。5代目の高須隼人定次は真田家の圧政に苦しめられた農民達から「お助け縄(検知)」と呼ばれて感謝された逸話が残っている。「太平の鐘」元は江戸時代の寛永12年(1635年)鋳造されましたが現在の場所に移転した時は鐘楼はありませんでした。現在の鐘楼は平成8年(1996年)により復元されたもので「太平の鐘」と名付けられ口径が90センチ!重さは1トンにもなる大きさがあり「時を知らせる鐘」として毎朝(Am7:00)と夕方(Pm6:00)に鳴らされ時を知らせ続けています。「感想」国道50号線沿いにお寺へと続く参道があり山門はありません。境内入口右側が駐車場となっており境内に入り正面に本堂、右側に太平の鐘、鐘付近に障害者用の駐車場があり左側に勝軍地蔵尊が祀られているお堂その奥に高須家墓地があります。立派な鐘楼の鐘の大きさに感動しいつの日にかは美しい鐘の音を聞いてみたいと思いました。ありがとうございました。
可愛い黒猫いる。
祖父が亡くなった時に、前のご住職さんにいいお経をあげてもらいました。あの時は大変お世話になりました。
ここは、すばらしいです。私は子供の頃から馴染んでます。心がすっきり‼️気持ちよくなるような、気がします。モヤモヤしてる人は、行ってみて下さい。
静かなお寺です。身が浄められます。
| 名前 |
正幸寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
027-224-7005 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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