栃原岳の绝景と清々しさ。
波比賣神社の特徴
清掃が行き届いた境内で、気持ち良く参拝できました。
環境省巨樹巨木林DBに登録された巨樹が境内に立っています。
栃原岳の頂上にある神社から素晴らしい眺望が広がります。
境内および参道に環境省巨樹巨木林DBに登録されている巨樹がある。幹周り:3.95m、樹高:20m、登録No.48218、ツクバネガシ幹周り:4.54m、樹高:19m、登録No.48219、スギ幹周り:4.34m、樹高:15m、登録No.48220、スギ大杉は山門前に二本。ツクバネガシは800mほどある参道の途中にある。こちらは傍らに社が建てられている。なお、参道後半のグレーチングはとても粗く、38Cのタイヤでも嵌まり込んだ。自転車で訪れる方は注意されたい。
こんな山の頂上に立派な神社が有るなんて、思いも寄りませんでした。建物の整備も行き届いているし本殿は立派だし社務所もちゃんと有りますし、よっぽど氏子さん達が寄付をして維持しているんだなと思いました。いやまてよ 境内に来るまで〇HKの電波中継塔や、何に使われるかわからないもっと立派な鉄塔(電波塔)がそびえ立っていたぞ その鉄塔借地料若しくは地代で神社整備を行ったかもですね。
■波比賣神社社格:延喜式内小社祭神:水波能売神・応神天皇★下市町の西南に聳える栃原岳(526.8m・黄金嶽とも)頂上に鎮座。初め栃原神社と称する。三韓征伐に勝利を収め凱旋された神功皇后に代わって、御子応神天皇が吉野の山々の神に戦勝御報告のため行幸された時、栃原岳で天神を祀ったのが社の起りと伝わる。天平2年11月11日(730年)、波比賣神社として創建。天安2年3月28日(858年)、波宝神社と共に官社に預かる。天安2年4月22日(858年)、波宝神社と共に従四位に叙される。貞観6年6月23日(864年)、波宝神社と共に正四位に叙される。貞観8年11月4日(866年)、波宝神社と共に従三位の神階に叙され、延喜式に列する。天安2年~貞観8年にかけ信仰は隆盛を極める。天喜元年8月(1053年)、山麓にあった八幡神社(応神天皇)を合祀する。この頃より金嶽宮(黄金嵩宮/コカネノタケノミヤ)とも金嶽八幡宮(金ヶ嶽八幡宮)とも称するようになる。文亀年間(1501~1504年)、火災で社記等焼失。明和7年11月(1771年)、現本殿建造。本殿宝珠柱の擬宝珠に銘。天保15年(1844年)、御普請。本社蔵『金ヶ嶽御普請記録帳金山寺』に記録。弘化3年8月(1846年)、本殿大修繕。明治12年10月(1879年)、本殿屋根替え。明治14年9月(1881年)、波比賣神社正遷宮。明治30年(1897年)、本殿屋根替え。昭和9年(1934年)、〃昭和31年(1956年)、社務所北側鐘楼、老朽のため取潰し。平成10年(1998年)、台風7号により社殿大損壊。平成12年12月(2000年)、本殿屋根、檜皮葺から銅板葺へ葺替え。それに伴い拝殿・本殿蔵改築、割拝殿改築、祓所改殿、摂社社殿改殿、社務所改築。★境内1860坪。現在の社務所はもと金山寺(真言宗)。明治初年まで当社の神宮寺として社務を掌握していた。所内には今も当時の須磨壇を残すが、明治の廃仏毀釈運動の折、仏像や仏具、梵鐘等は村に下り、光円寺・浄教寺・極楽寺に分属するに至る。丹生川上神社下社の考証書には「本社の旧社領なり」と記されている。当社記録には残っていない。★例祭:10月初旬栃原集落の中学生が巫女舞を奉納する。室町時代には栃原猿楽座が奉納されていた。
標高531mの頂上に、波比賣神社(はひめじんじゃ)が鎮座しています。普段人は居ません。社務所横に男女兼用トイレがあります。近くにある展望台からは西吉野が望めます。
ご祭神:水波能賣命,譽田別命境内社:天照大神(天照大神) ,吉野神宮(後醍醐天皇) ,愛宕神社(愛宕神) ,明治神宮(明治天皇)
栃原岳のお山の頂上から奈良の南、下市町、大淀町、五條市の畑、水田、柿畑、人々のくらしをいつも見守ってくださいます。大変有り難い神社です。
呼んでくださったことをわかりやすい伝えてくださいます。
言葉に出来ない来て良かった感ある不思議なところ大きくなければ車で神社近くまで行けます、鉄塔周辺に停めるスペースがあります。
吉野三山のひとつ。実は車で山頂まで行ける。
名前 |
波比賣神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34547 |
評価 |
4.4 |
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清掃が行き届いて、とても気持ち良く参拝させて頂きました。