鳥取砂丘で詩人の夢見る。
武郎晶子佗涙の地碑の特徴
鳥取砂丘を見下ろす絶好の夜景スポットです。
与謝野晶子と与謝野鉄幹が訪れた歴史的な地です。
市街地からアクセスしやすい立地にあります。
砂丘のとっかかりみたいでなんと近くの休憩所から1時間も徒歩で🚶♀️🚶♂️かかるみたいです 注意喚起も表示されています まるで砂漠🏜のようです この場所は別に何も無いです。
鳥取の夜景スポット。
有島武郎が鳥取砂丘を訪ねた年は大正12年4月の時、与謝野晶子が訪ねた年は7年後の昭和5年5月25日、夫の与謝野鉄幹と一緒に鳥取入りをしましたが、鳥取砂丘には一人で訪れました。そして友人有島の死を悼み詠んだ歌が「武郎晶子陀涙の地碑」として今に伝わります。晶子と武郎は出身地は違えど、生まれた年は同年で互いの存在は文壇上でもよくよく知り合っていましたから、晶子はそれこそ陀涙してこの歌を詠んだに違いありません。晶子にとり鳥取砂丘訪問は善き供養の旅だったと思われます。石碑の向く方角には鳥取市内と山並みが見えています。
砂丘の観光地から離れた場所ですが、市街地が見下ろせる場所なので、車で立ち寄る人が時折訪れます。駐車場ではないですが、車が3〜4台置ける空き地があります。
名前 |
武郎晶子佗涙の地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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有島武郎の「浜坂の遠き砂丘の中にして わびしき我を見いでつるかな」と、有島と親交のあった与謝野晶子の「沙丘踏みさびしき夢にあづかれる われと覚えて涙流るる」の歌碑が並ぶここから北東に400mの一里松広場には有島武郎の「浜坂の遠き砂丘の中にして さびしき我を見いでけるかも」 の歌碑がある下の句が異なるがどちらが正しいのかは分かっていないらしい。