紫陽花と清水寺、壮絶な石段の旅。
清水寺の特徴
紫陽花の時期には圧巻の美しさを誇る歩きながら楽しめるお寺です。
階段を登りつつ自然の空気を感じる癒やしのスポットとなっています。
下仁田戦争で戦死した藩士を供養する田村堂がある歴史的な場所です。
『天狗党の乱』関連史跡で訪問。天狗党と高崎藩が交戦した『下仁田戦争』で戦死した高崎藩士の木像が安置されている。
西暦808年、坂上田村麻呂が蝦夷征討のさい、京都の清水寺から勧請したと伝えられています。
征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の兵士の健勝と武運長久を祈り、京都東山の清水寺から勧請、開基したと伝えられています。本尊は千手観音。観音山の名前のもとになっています。今回、下から本堂まで長い階段を上ります。途中、仁王門、山門、本堂(観音堂「大悲閣」)まで、少し蒸し暑い日でしたが、とても、気持ちがよかったです。
大観音までバスで登って、散策したときは外国からの観光客も含め賑わっていたのに、このお寺まで下りる人は皆無でした。たった一人でやや暗い寺域を周りました。駐車場からの高崎の眺望は良いです。ただお寺は荒れ気味で、算額などは長年の風雨のせいか内容が判らないものが多いです。ここから石段を下り、バスに乗る予定でしたが、バスが一時間以上なかったので、高崎駅まで歩いてしまいました。
石段でトレーニング中の多数の女子高生から、すれ違う度にコンニチワと元気に声を掛けられるので、足元がつい乱れる。約500段を上り終えてヘトヘトに…。どこもかしこも緑が極めて豊かで、特に本堂の北側にある2本のエノキが立派。互いに太く高く聳えて枝を大きく広げ、空っ風に悠々と冬枯れの梢を委ねている。
観音山で歴史のあるお寺。車とバスで、上まで登るととここまで降りて来づらい。歴史から取り残された感があるなか、それでも頑張っる感じてすか。自分としては、駅から歩いてきたので立ち寄ります。石段と古びた石塔類が、魅力かな。階段を登り切る所に、あまり見ない舞台?ですか、そこをくぐって、本堂へ。ご本尊は、公開されてないけど、裏の愛染明王は、地味に公開されてます(スマホライトなどで、確認)。他にも田村堂というご当地お堂などが有ります。場所は、高崎駅から歩いて45分の距離。上の駐車場からおりてくる、バス停階段下まで来るのも有ります。自分は、高崎えきか「聖石橋→清水寺→慈眼院」と周りました。
紫陽花が有名なようです。お寺の色合いがいい雰囲気を出していました。駐車場は一応裏にありますが、そこに行くまでの道幅は狭くすれ違いは出来ないです。弘法大師高崎霊場第一番札所上野国順礼札所三十四ヵ所34番札所。
春先の風が強い日に参詣しました。仕事で高崎に行った時、少し時間が空いたので、あの大きな観音様にお参りしようと市街から歩いて向かいました。こちらのお寺の石段が目に入り吸い込まれるように昇りました。思っていたより長く上がった処にある山門やお堂も落ち着いた佇まいで参詣して良かったです。
2021/6/21アジサイが植えられた長い階段が有名です。朱塗りの建屋も新緑に映えとても美しいです。今年の北関東はアジサイの咲きが良くありません。清水寺さんも花数は少ないながらも見頃を迎えております。808年征夷大将軍坂上田村麻呂公が蝦夷征伐の為立ち寄り、武運を祈り京都清水寺のゆかりを持ち開基致しました。狩野常信の大絵馬、和算の大家斎藤宣義の算額、高崎出身の浮世絵師一椿斎芳輝の額などが有ります。また、北の隅にある田村堂には、先日大河ドラマでも放映された水戸天狗党の乱の際、下仁田で戦死した高崎藩士の木像が安置されています。尚、このいわゆる下仁田戦争は日本最後の鎧兜刀槍の戦いでした。
| 名前 |
清水寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
027-323-3214 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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白衣観音さまから 歩きまして、清水寺 階段がたくさんありました夕方でしたが 境内中では観音経を 唱えておりました千手観音さまが いらっしゃるとのことでまた 訪れたいと 思います。