歴史を感じる新島襄旧宅。
新島襄旧宅の特徴
新島襄の銅像がある旧宅で、歴史を感じる場所です。
丁寧なボランティアによる説明が魅力的で、時間をかけて楽しめます。
住宅街の奥にひっそりと佇む、趣のある木造家屋です。
新島襄は明治7(1874)年11月29日、この家で10年ぶりに父母姉妹と再会しました。ここは新島襄が脱国から米国での苦学の経験を活かし、日本での活動を始める第一歩となった場所です。その後、襄は京都に同志社英学校を設立し、キリスト教を基にした人格教うことに全力を尽くし、明治23(1890)年1月23日に神奈川県大磯で亡くなりました。 この建物は昭和38年、来訪者が新島襄の業績をしのぶとともに、その精神を受け継いでいくことを願い、遺品や関係書類、写真などを収集して展示する施設として市が移築改修し、翌年に開館したものです。
群馬を訪れる際の下調べで、GoogleMapで発見して訪問してみた。上毛かるたにもあり、同志社Funderでもある同氏。あいにく訪問時は改装休館中だったが、偲ばれる落ち着いた雰囲気の佇まいであった。
こじんまりしています。明治初期の歴史やキリスト教や古い建物に興味のある方におすすめです。管理人がおり説明してくれます。門口に桜の大木があり、裏側には小さな古墳があります。散策がてら訪れて縁側でのんびり一休みできます。
群馬県安中市にある史跡です。安中市の指定史跡です。上毛かるたに出てくる、「平和の使徒 新島襄」の実家です。ただ、新島襄は安中藩江戸屋敷の生まれなので、生家ではありません。明治維新後に安中に戻ってきたときに住んでいたようです。10軒長屋のうち、2軒だけ復元してあるようです。中は資料館になっています。専用駐車場、公衆トイレもあり整備されています。見学料金は無料です。管理人兼案内人の人に案内していただきました。よく分かる解説でした。
同志社大学の創設者であり、昔の大河ドラマの八重の桜の主役新島八重さんの旦那さんでもある新島襄さんの実家(襄さんは江戸藩邸時の子供なのでほぼ住んでは居なかったみたいです) 元々は別の場所にあったようですが移築されたようで庭には古墳があります。
二十年ぶりぐらいで訪れましたが、展示物とか、当時見た記憶があり物もあってなんか懐かしかったです。
岩倉具視の使節団の通訳をした人で同志社大学の創設者。下級武士の家で江戸生まれ。後にクラーク博士に教えを乞うた人。大河ドラマ八重の桜の主人公新島八重の旦那さんが日本に戻り3週間両親と暮らしたら場所。直ぐ近くの公民館(50m位)は元あった場所で、此処に移筑した。建物の左側(資料館)は移筑の際、別物をつけ足し資料の展示に使われている。
丁寧なご説明をいただきました。同志社大学出身者の方のご訪問をおすすめします。
福沢諭吉や大隈重信のように立身やお金に目もくれず、真人間の道を歩んだ軌跡を辿ることは、素敵だなあと思います!
| 名前 |
新島襄旧宅 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
027-382-7622 |
| 営業時間 |
[水木金土日火] 9:00~17:00 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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新島襄旧宅は少し離れた所から移築した建物で二軒長屋だそうで、移築する時は右側の新島襄旧宅を移築しあとで左側は付け足しで建てたようです。現在は展示物室と管理人室があります。しかし新島襄の父親は安中藩の下級武士で安中藩の江戸詰で新島襄は藩邸で生まれ、才能があったので藩主から抜擢され洋学を学び、函館から米国に密航し米国で学びキリスト教の洗礼を受け後に同志社を作り、山本八重と結婚しました。明治時代になり安中藩士の父は江戸詰から安中の今の家で住み、新島襄が米国から帰って来た時は親子と妹とこの旧宅で再会してこの旧宅に何日か住んでいただけのようです。