江戸時代の歴史を感じる熊野神社。
この神社は町谷にある熊野神社の末社として江戸時代中期に創建されたと言われています。ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと。「おおな」は「大兄」と学者は解釈しています。「むち」は「貴い神」を表す尊称)。この神さまは多くの別名をお持ちで、大国主神(おおくにぬし の かみ)をはじめ十以上の名前があります。因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)始め多くの説話に登場する人気抜群の神さまです。「古事記」や「日本書紀」によると、日本国土を造ったいざなぎのみこと・いざなみのみことから七世の孫に当ります。(ちなみに町谷の熊野神社のご祭神が伊装諾命(いざなぎのみこと)・伊装朋命(いざなみのみこと)です)。大国主神を祀る神社は出雲大社を始め全国に多くあります。大国主神は人々に農業や医術を教えたとされており、またワニに毛皮をむしられて浜辺で泣いていた因幡の白兎を蒲の穂の花粉で癒やしてあげた古事記の話から「困っている動物を哀れんでくれる憐れみ深い神様亅「病を封じる神様」として病気平癒を願う人々から篤い信仰を集めています。また縁結びの神様としても有名ですね。さらに五穀豊穣、夫婦和合などにご利益があるとされる神様です。また大国主神の「大国」は「ダイコク」と読めることから同じ音である大黒天(大黒様)と神仏習合し商売繁盛・金運アップの神様でもあります。おって平成30年2月本社の本殿が町田市有形指定文化財に指定されました。外部から見える建物は覆い屋で本殿は内部に格納されています。(添付の写真をご覧ください)本殿は昭和46年熊野神社より移設されたもので「板ぶき目板打」屋根の建築様式であり見事な彫刻が施されています。その棟板には「享保11年(1726年)鎌倉大工 藤並七郎衛」等の墨書が残されており製作年や製作者が明らかになりました。棟の正面には巴紋、左右に「笹に根竹」の家紋が印されています。享保年間は元禄という華やかな時代が終わり、8代将軍徳川吉宗による享保の改革が行われて、緊縮財政がとられた時代であり、バブル崩壊後の現代の日本と似通っているとも言われています。神社仏閣は現代に残る一種のタイムカプセルだと思います。参拝しながら「この神社が創建された頃にもきっと私たちのご先祖さまたちが同じように手を合わせてお願いしていたんだろうな」と思いを馳せるのも楽しいことです。1月12日日枝神社でどんど焼きが行われました。大勢の子供たちが団子焼きを楽しんでいました。このような先祖から受け継いだ地域の行事がいつまでも続くことを願いました。
名前 |
山王山日枝神社 |
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ジャンル |
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住所 |
〒194-0004 東京都町田市鶴間6丁目21−24 日枝神社 |
評価 |
4.3 |
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町田市有形指定文化財。