伊能忠敬像と春の公園。
伊能忠敬銅像の特徴
佐原公園内に堂々と建つ、立派な伊能忠敬像です。
歴史的価値が感じられる、佐原の偉人の銅像があります。
鳥居をくぐってすぐの場所に位置する、静かな憩いの場です。
佐原は 伊能忠敬が17歳で養子に入ってから50歳まで 過ごした場所です ここでの稼業は 造り酒屋でしたが 伊能忠敬の才能は 商売の方にも生かされて 非常に 儲かっていた と聞いています 50歳からは江戸に出て 天文学を学んで 地図作りを 勉強しました 55歳から まずは蝦夷の 北海道の地図を作ることから始まって 全国地図を 作成しました 佐原市の誇る偉大な人物です。測量の機械など 国宝に指定されているようです。
伊能忠敬銅像〒287-0003 千葉県香取市佐原イ771 佐原公園内2026年1月1日訪問しました。この像を見ると、伊能忠敬さんが、50歳になってから新たに学問を学び直し、偉大な全国測量事業を開始したことに、心洗われます。佐原公園(諏訪公園)に建てられていますが、小島一仁氏の解説文を読むと、この像が1919年に建てられ、100年以上経過していることにも驚きます。伊能忠敬先生の銅像伊能忠敬先生は、一七四五年、いまの千葉県九十九里町で生まれましたが、一七歳で佐原の伊能家のあとつぎとなり、以後三〇年余りこの町でくらしました。そして、五〇歳になってから江戸へ出て西洋流の天文学を学び、五五歳のときから、幕府の命によって、何回も測量旅行におもむき、一七年もかかって、全国の海岸線を測量して精密な地図をつくりました。先生は測量旅行のたびごとに、その地方の地図をつくり 最後にその総まとめとして日本全図をつくりはじめました。一八一八年、江戸において先生は七三歳で亡くなりましたが、日本全図は、弟子たちの協力によって、その三年後に完成しました。日本の国土の正確な形は、忠敬先生によって、はじめて明らかにされました。この銅像は、忠敬先生の測量中の姿で一九一九年(大正八年)にたてられました。台石の文字は、漢学者塩谷時敏先生が書かれたもので、「仰(あお)いでは斗象(としょう)を瞻(み)、俯(ふ)しては山川を畫(えが)く」とあり、意味は「天体の観測を行って、りっぱな地図をつくった」ということで、忠敬先生の功績をたたえています。小島一仁氏 解説一九八三年八月七日 寄贈 (社)佐原青年会議所。
日本地図を江戸時代に作成した、伊能忠敬の出身地に所縁のあるものが、佐原駅周辺には沢山あります!オススメのスポットですよ!
佐原駅から 歩いて数分佐原公園内にあります。
歴史感じる公園。伊能忠敬銅像に遊具やベンチ、トイレやテニスコートがあります。
佐原駅からまっすぐ進んで、鳥居をくぐった先の右手、小さな公園に建っています。伊能忠敬記念館と旧家を見学する前に立ち寄りました。
いろいろクチコミは拝見しましたが、あまりに良く言わない方は歴史的価値感が分かっていないただの観光客かなと思います。私が考えるに、何故ここに銅像があるのか…… これが重要な意味を持っていると思います。すぐ隣にある諏訪神社。これは郷社です、つまり各々の村社を総括していたのが郷ですからココにあるのも納得できます。後からできたであろう場所に銅像があるから、何でこんな小さい草茂るとこにあるの?と思った方は多いかもですが全く逆だと思います。少し悲しく思いました。逆に地元の方々はもう少しアピールしても良いのでは?とも思いました。それと、思いましたが、諏訪神社のかなりの石段を上りると、裏の車道にも繋がっていることを何かしら知らせて頂けたら、わざわざ下に降りることは無かったと思いました。(歩きで行きましたし、上の寺社も廻りたかったので)
昨年はこの時期紫陽花鑑賞にあちこち出かけたので、今年はどこに行こうか検索していたら、佐原あやめ祭りを発見。花が大好きって訳ではないが、休日の散歩は景色良い所が良いもんね、やっぱり。ということであやめ祭り前に佐原散策。佐原は伊能忠敬ゆかりの地といことで町全体で伊能忠敬猛プッシュ。まず伊能忠敬像へやってきたが、、小さい公園に不釣り合いなでかい像がドーンと鎮座。周りも特に整備されているわけでもなく、うーん。となってしまう感あり。佐原観光スタートでここに来るとこの先の観光がちょっと不安(笑)
諏訪神社の入口右手の公園に立っている大きな銅像です。伊能忠敬翁が亡くなられたのが1818年、銅像は1919年(大正8)に建てられたそうです。
| 名前 |
伊能忠敬銅像 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0478-54-1118 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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佐原駅前にある日本地図を歩いて作った方の銅像。近くの資料館と小江戸佐原の街並みも。