古墳そばの青空散策。
貝吹山城跡の特徴
古墳を利用した城としての歴史が魅力的です。
永禄5年の久米田の戦いの舞台でもあります。
近くで亀の餌付けが楽しめるスポットです。
近くには、古墳が有ります。この山も古墳だったかもしれませんね。三等三角点がありました。
三好実休(義賢)居城。此処から最後の戦いへと出陣。畠山みたいな小物と侮っていたのでは?目と鼻の先久米田池にて討死。
三好義賢戦死の地。鉄砲で撃たれたとの伝説もあるらしい。もし三好義賢がこんなところで討ち死にしなかったら、三好政権はもう少し長く持っただろうし、信長の畿内入りは遅れただろうし、下手したら武田信玄に潰されて歴史が変わってたかも等々妄想が膨らむ戦地である。貝吹山は城郭としての遺構はぱっと見皆無。近辺にありがちな古墳公園として手入れされている。どうでもいいが、貝吹山を含むこの古墳公園の、ある古墳の名前は、「無名塚古墳」。古墳の名前など適当なのだから、もう少しまともな名前にしてあげたら…と思った。
資料持参して行くほうが良い。城としての遺構はわかりにくい。
天気のいい日だったので非常に空気が良く最高でした。貝吹山城跡の上に行くときが少し斜面が急で小さいお子さんや高齢の方は危ないと思います。少し説明が欲しかった。
三好義賢の城です。1562年久米田の戦いで義賢が陣をしきました。古墳を利用した城ですが、現地には解説等一切無く、知らなければここが城跡とは分かりません。駐車場もありません。久米田寺に駐車して参拝ついでに見ると良いかもしれません。
古墳を利用した城。三好長慶の弟、三好実休が久米田の戦いで本陣を敷いた。三好実休は畠山勢と交戦し討ち死にした。
亀の餌付けをしている人がいます。
永禄5年(1562年)「久米田の戦い」於いて、三好実休(義賢)がこの地に陣を敷いた場所。前方後円墳を掘削して城を築いたと各書で記されてます。幼少時、そこで普通に遊んでましたわ。
名前 |
貝吹山城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
周辺のオススメ

Googleマップでは貝吹山城跡YAMAPでは貝吹山現地では貝吹山古墳城跡の説明も山の説明もなく古墳の説明はあった山頂?には三等三角点はありました。