平賀氏の築いた山城、歴史の息吹を感じて。
頭崎城跡の特徴
中世安芸国の平賀氏が築いた歴史ある山城跡です。
林道が整備され、自転車やバイクでのアクセスが可能です。
郡山城に次ぐ大規模な城跡で、周囲の曲輪も見応えがあります。
登山道は西側と南側の複数箇所。いずれも比較的勾配と、広くて距離があって、登山道への柵を開けて入山するのに装備と体調と気合と覚悟が必要です。神社の鳥居とお地蔵さん多数で、ガチの古戦場だったのが伺えます。車両だと北側からアクセスできるので、気軽に行ってみたい場合に。(南側からバイクで探しまくって、間違って隣の岩谷山に登ったのは内緒)
頭崎城は、中世安芸国の有力な国人領主平賀氏が築いた山城です。 平賀氏は出羽国平鹿郡から移り、高屋町高屋堀の御薗宇城を居城としました。その後平賀弘保は、文亀3(1503)年に白市の白山城に本拠を移しましたが、さらに戦乱の激化に対処するため大永3(1523)年に白山城の北方約4キロメートルにある、比高約200メートルの頭崎山頂に頭崎城を築き、その子興貞が居城したとされます。 現在も多くの曲輪が残っていて、曲輪の名前が残っているものとして、本丸にあたる「甲の丸」や「西の丸」「太鼓の段」「煙硝の段」「稽古場」「大将陣」などがあります。 南麓には、「屋形原」「御屋敷」「蔵屋敷」という地名や常楽寺跡などが江戸時代後期に編纂された『芸藩通志』上で確認することができ、居館や寺院、家臣の屋敷を配置していたと推測することが可能です。
林道が整備され、自転車やバイクでも上がれます。車も山頂近くまで小雪の中上がれました(軽FF車)。「2022初日の出」は最高でした~(^^♪展望は広島空港・広島スカイアーチ・酒の都「西条」が見えます。地域の皆さんが維持管理されており、県内でも2番目に規模の大きな「山城」として歴史の有る所です。
麓案内板の縄張には広大な城跡が記されてますが、廻れそうなのは甲の丸~三の丸と周囲の曲輪でした。登城口付近は緩やかで城跡に近づくにつれ斜面がきつくなります。なかなか登り応えがありました。三の丸、煙硝の段には鳥居や社殿があります。太鼓の段の周囲に石垣があり、眺望が見事でした。三の丸二の丸甲の丸と段々に登り削平されてますが周囲を草木に覆われていました。西の丸は草木多くかき分け進むと石垣あり、まだまだ先がありそうでした。北側には駐車場あり未舗装の路が続いてました。北側の曲輪は草木で覆われていました。北東側に尾根沿いを行くと鉄塔がありその先に曲輪跡があるようでした。他は廻れず全容の把握はまだまだでした。
広島県内では毛利の居城である郡山城に次ぐ大規模な山城跡です。標高が高く、登った感があります。
名前 |
頭崎城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
082-420-0977 |
住所 |
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HP |
http://www.city.higashihiroshima.lg.jp/soshiki/kyoikuiinkaishogaigakushu/3/2/16970.html |
評価 |
3.6 |
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貞重自治会館からのルートは急斜面です。年配者は1時間位で休みながら登ると良いでしょう。西側のルートは車で近くまでいけます。ですが軽トラかジムニーのような車高がある車をお薦めします。