聖徳太子の神聖な空間を訪れて。
聖徳太子磯長墓(叡福寺北古墳)の特徴
聖徳太子の御廟が位置する叡福寺北古墳は、神聖な雰囲気が漂う場所です。
内部の横穴式石室には、聖徳太子とその家族の棺が厳かに納められています。
古墳と神社が一体となった空間は、特に聖徳太子ファンにとって魅力的です。
大阪府太子町の叡福寺内にある聖徳太子の御廟寺院の中にあり、宮内庁が管理しているという珍しい皇族のお墓です太子墓は径50メートル、高さ10メートルほどの円墳で、内部は精巧な切石を用いた横穴式石室で、太子と母君の穴穂部間人皇后、妃の膳郎女の3人の棺が納められていると伝えられています。
推古天皇二十九年の春二月(はるきさらぎ)の己丑(つちのとのうし)の朔癸巳(ついたちみずのとのみのひ)に、半夜(よなか)に廐戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこと)、斑鳩宮に薨(かむさ)りましぬ。是の時に、諸王・諸臣(もろもろのおおきみ、もろもろのおみ)及び天下の百姓(あめのしたのおおみたから)、悉に長老は愛(ことごとくにおきなはめぐき)児を失へるが如くして、略、哭き泣(なきいさ)つる声、行路(みち)に満てり。略、「日月輝(はつきひかり)を失ひて、天地(あめつち)既に崩れぬ。今より以後(のち)、誰をか恃(たの)まん」といふ。これ程に慕われた聖徳太子(諡号)ありがたや、ありがたや、南無阿弥陀仏、御陀仏🙏蛇足:高麗の僧慧慈(聖徳太子の内教の師)は大いに悲しみ四日後の二月五日に我死なむと言いその日に没した。雨のそぼ降るふ番傘でも差して独り静かに佇んで古〜い時代を思ってみよう❗️
聖徳太子様の御廟です(‐人‐)
聖徳太子ファンなら必ず訪れたい。古墳と併設されたお寺。太子と第三夫人みのいらつめ、母のあなほべのはしひとひめの3人が眠ってます。
聖徳太子が好きなので一年に何度も訪れます。墳丘北側に隣接する陵は、五字ケ峯と喚ばれるそうです。近くには、敏達、用明、推古、孝徳天皇があり梅の花びらが五枚であることから梅鉢御陵と呼ばれています。叡福寺から道を挟んで南の位置に太子 縁の西方寺があるので両方 訪れるといいですよ。☺
本当かどうかわからないがここが聖徳太子のお墓だそうだ。年末お墓参りの人が多かった。
古墳なのですが、神社と一体でより神聖な感じがする空間です。石室の状況は、近つ飛鳥博物館にレプリカ石室があり、詳しく説明されています。
被葬者:厩戸皇子(聖徳太子)/穴穂部間人皇女/膳部菩岐々美郎女叡福寺北古墳は古墳時代終末期、飛鳥時代の7世紀後半頃の築造と推定されています。現在は宮内庁により聖徳太子の墓に治定されており、考古学的にも聖徳太子、穴穂部間人皇女(用明天皇皇后)、膳部菩岐々美郎女(皇子妃)ら3人の合葬墓(三骨一廟)の可能性が高いと推定されています。拝:2020/09/05
太子ゆかりの三大スポットのひとつ。2021年は、太子1400年御遠忌。
名前 |
聖徳太子磯長墓(叡福寺北古墳) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(太子廟)だが、太子の墓とするには疑問が多い。古来から太子信仰の聖地だから、現代の科学的調査で別人の墓と分かったら、驚天動地の大騒ぎになってしまうだろう。今のまま、そのまま信じるのが無難かもしれない。