物井北ノ作の古屋城跡で歴史散策!
物井北ノ作の古屋城跡の特徴
関東戦国時代の遺構で広大な土塁と空堀が残る城跡です、
鹿島川と支流に囲まれた自然の地形を活かした台地に位置しています、
駐車場は近くに無く千代田公民館から徒歩でアクセス可能です、
北に物見台状の小郭があり、堀切を隔てて主郭がある。南側の住宅も郭だったと思うが視察できるのは土塁(物見台)、主郭、取り巻く堀切と土塁、帯郭、そして井戸。比較的良い状態で残っている。虎口は当時のままなのかハッキリしない。支城も近くにある。物井集落は古来から物部郷、臼井荘として栄えた土地。城は臼井氏、千葉氏の領有下として整備されたようだ。
残してくれたことに感謝。時期によっては草ボウボウですので、お気をつけて。
埋め立てられてますが障子堀があったとの事。本丸、腰郭、空堀、虎口と期待以上に見応えがあります。隣の館山城と合われるとかなり大規模な城郭だったと思われます。
現在は広場として整備されていて散策しやすくなっています。ほぼ主郭と小郭からなる小規模な城ですが、空堀や腰郭などが良く残されています。城の歴史についてはっきりと分かっていない様ですが、戦国時代には千葉氏一族の物井右馬助という人物が居城にしていたと見られている様です。
規模の大きい土塁と空堀が見られます近くに駐車場がないので千代田公民館の駐車場から少し歩く必要があります。出入口は3か所あり水道も一か所あります。どこからも坂がきついので上るのが少し大変です。草がきれいに狩られている時もあれば草が伸びている時もあります。特に春から夏は草が伸び放題ですし見かけよりも広い城域なので除草剤を使わないで草刈りが本当に大変だと思います。管理されている方には本当に頭が下がります。もっと知られてもいいお城だと思いました。
草ぼうぼうで歩くのが大変です。
弁財天を後に進んで来たら入口があった。案内板を読んで、何となく納得。古井戸は歴史を感じました。
Google MAPの道とは別に西側や北側から入る道があります。城は手つかずの土塁など保存状態がよく、城好きにはオススメです。ただ2019年の台風の影響なのか一部倒木があり入れませんでした。案内板を見ても物井集落の拠点とあるだけで誰の城とかは記載がありませんでした。
『物井北ノ作の古屋城跡』は、鹿島川(旧物井川)を北東に望み、周囲をその支流・支谷・湿地帯に囲まれ、天然の要害ともいうべき台地上の自然地形を活かして造られた関東戦国時代(1455年~1590年)の城跡で、四街道市の文化財(史跡)に指定されています。主郭内において昭和50(1975)年に発見された『亀甲つなぎ散らし双鶴亀鈕鏡』と昭和52(1977)年に白磁碗の破片が発見された同所の古井戸跡を『物井古屋城址の白磁の井戸』として、共に四街道市の文化財(史跡)に指定されています。
名前 |
物井北ノ作の古屋城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
043-424-8934 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.1 |
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城跡は、物井集落の北西部に位置し、北に開口する谷の東側台地先端部につくられています。南北約八〇メートル、東西四〇~八〇メートルの台形状の主郭を中心に土塁と空堀がめぐり、北には空堀をはさんで三角形の小さな郭があり、さらに、南側の民家部分にも 郭があったことが想定されます。このように、古屋城は複郭の構造と規模から考えると、 戦国時代の終わりごろまでは物井集落を基盤とした重要な 拠点として機能していたことがうかがわれます。また、主郭内において昭和五十年に発見された「亀甲つなぎ散らし双鶴亀紐鏡」と昭和五十二年に白磁碗の破片が発見された同所の古井戸跡を「白磁の井戸」と名付け、ともに市文化財に指定しています。【現地案内板より抜粋】物井駅から広がりつつある住宅街の一画に、古い民家が固まる集落があり、その脇にこんもりとした木立があり、そこが城跡。主郭周りの空堀は見事なもので、土塁は形状を留めている部分は僅か。発掘調査では障子堀も見つかっているとの事ですので、現状より広大な城域かつ、技巧的な仕掛けがあったものと思います。住宅開発の波に飲まれない事を期待します。