桜満開、甲斐奈神社の美景。
甲斐国四宮 甲斐奈神社(守ノ宮)の特徴
聖武天皇の時代に設立された甲斐奈神社の歴史的背景が魅力です。
桜が満開の時期、提灯が映える景色が美しい神社の一帯です。
御朱印は近くの食堂で自分で押すスタイルがユニークです。
こちらも延喜式内甲斐奈神社の論社の一つだそうです。甲斐国の四之宮で総社(他にも総社はあるらしいですが、国府が移転した際に総社も変更されたのでしょうね)という由緒正しきお宮です。訪問時は調度桜の花が見頃でした。春の例祭の時期であったのか提灯や幟が出ていて、何とも得をした気分です。三月に建ったばかりという東屋も昼食で使わせて頂きました。ありがとうございました。この辺りの神社は本殿が覆殿で隠されていなくて良いですね。悪さを働く人がいないという土地柄を表しています。
山梨県笛吹市「甲斐奈神社」御祭神:彦火火出見尊大己貴命創建年:?住所:山梨県笛吹市春日居町国府361甲斐国の四宮。過去を振り返ると兵庫県三ノ宮で四宮神社と出会っていらいの四宮。やはり当時栄えた街でないと四宮まで行かないのか?と思います。縦長の境内。きっちり整備されておりますね。気持ち良い♫過去には守宮大明神と呼ばれていた頃も。「しゅのみや」→「しのみや」四宮になったとの言われも。ここから石和温泉駅までそこそこ距離ありました。見ると石和温泉周辺には有ります♫有ります♫神社仏閣。これは石和温泉の回で1日どっぷりやらなければ!ありがとうございます。ではまた。
甲斐奈神社(かいなじんじゃ)は聖武天皇の天平年間(729年~749年)国司田邊史廣足が、総社として、峡之神社(かいのじんじゃ)を設立したのが当社のはじめと伝えられています。祭神は、彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと:神武天皇の祖父)大己貴命(おおなむちのみこと:大国主神)です。拝殿前には、小さな立て石があります。式内社です。
クチコミの言う向かいの食堂がどれだか分かりづらく…まだ開店前だったのもあり。串焼きの店員さんに聞いても知らないみたいで…たまたま食堂の方に人が来てくれて…それでやっと御朱印にたどり着きました。自分でスタンプ押して作ります。200円。紐がもう少し長いとやりやすいかなと思います。このスタイル初めてです。
山梨県内に甲斐奈と名が付く神社は3つありますが関連は無いようです。道路沿いに鎮座しています。御祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)となります。御朱印は斜め向かいのお食事処「あこがれ」の店内に入ってすぐ左側にスタンプ形式のものが置いてあるので自分でスタンプします。
御朱印は神社前の食堂にスタンプがあります。
神名帳の甲斐國山梨郡の項に記載のある甲斐奈神社の論社の一社。大きな広場のような境内で、山梨県の神社にはこういう境内が多いように思う。盆踊りなどのお祭りにはこういう境内も良さそう。拝殿の前に立石がある。静岡県の浅間神社の系列、山宮浅間神社や富士山本宮浅間大社にも同じようなものがみられるが、あちらは鉾立石といい、こちらのものとは意味が違うようだ。ご祭神は彦火火出見尊、大己貴命となっている。社伝によると、聖武天皇の御代に創建された古社。鎮座地の字が国府というように、この地に甲斐国府が置かれ、当社は甲斐國総社であったという。また、笛吹市一宮町に鎮座する甲斐奈神社もまた論社の一社。
真横に道路が走ってますが、思いの外静かでまったりすることも。リハビリの歩行訓練などでこっちの方にきたときは、休憩したりしてました。最近では、リハビリの気分転換で行くことが多いです。
御朱印は道の向かい側の定食屋?さんの中です。丁度休憩時間中か無人でしたが、入り口の扉の鍵が開いていたので勝手に入って頂いてしまいました。(お支払はちゃんとしました)
| 名前 |
甲斐国四宮 甲斐奈神社(守ノ宮) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/2082 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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甲斐奈神社(かいなじんじゃ)。山梨県笛吹市春日居町国府。式内社(小)論社、甲斐国総社論社、甲斐国四宮。旧村社。江戸時代には「守ノ宮(しゅのみや)」・「守宮大明神」という別名があった。主祭神:彦火火出見尊 大己貴命資料によると、鎮座地は、国府で、成務天皇時代に、国府の置かれた場所。明細帳によると、聖武天皇天平年中、国司田邊史廣足が、総社として、峡之神社(かいのじんじゃ)を設立したのが当社のはじめ。神亀3年(726)創建と伝う。この地は甲斐国府の地であり、天平年間田辺史広足が国府所在地を記念して古名を子孫に残そうと峡之神社(かいのじんじゃ)と名ずけ、その後甲斐奈神社となった。江戸時代には「守ノ宮(しゅのみや)」・「守宮大明神」という別名があった。これに関して「四の宮」または「国守の宮(= 総社)」の変化とする説がある。社名の「甲斐奈」は、「甲斐の」と解釈されている。甲斐奈の解釈は、甲斐根嶺、あるいは甲斐の菜など、他にもあるようで、幾つかの論社が存在する。とあります。