武田家の歴史を感じる夜参り。
八幡神社(甲斐惣社)の特徴
承久年間に創建された歴史深い神社です。
武田信光が鶴岡八幡宮から分霊を勧請しました。
風格を感じる夜の参拝が特におすすめです。
全国総社巡りの一環で参詣しました。甲斐國の総社とされる神社は複数ありますが、こちらは武田信虎が国府を事実上甲府に移したことが起因して総社となっていったようです。武田信虎•晴信親子関連の伝承の池があります。子供が境内で遊んでいたりと地元の憩いの場のようです。御朱印は南にしばらく歩いた場所にある愛宕神社の社務所で授かることができます。
承久年間(1219〜22年)に武田信光(武田氏開祖・武田信義の子供)が鶴岡八幡宮の分霊を石和の館に移したのが始まり。昭和20年(1945年)の甲府大空襲で焼失し、戦後再建された。
甲斐國総社八幡神社。神社西側の小山には雨乞いのための祠があり、石尊神社と呼ばれています。
甲斐総社八幡神社。JR中央線、身延線、甲府駅北口から徒歩で25分ほど。公園に隣接する神社。境内に、「幼少の武田信玄が握って開かなくなった拳を洗ったら開いた」といわれる池があります。この時期は桜並木が綺麗です。御朱印は愛宕神社まで。
承久年間(1219~1221)に武田信光が鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を勧請し、武田家の氏神として国衙八幡宮(現:石和八幡神社)を祀った。その後、永正十六年(1519)武田信虎が躑躅ヶ崎へ築城(現:武田神社)する際に現在の相川小学校西に遷座し古八幡と称した。また、武田信玄の時は府中八幡と称した。武田家が滅びた後、甲府城を築城する文禄四年(1595)に甲府城の鎮守祈願所、また甲斐国総社と称し現在の宮前町に遷座した。つまり、現在の八幡神社は武田とは直接関係はないと言えます。信玄が必勝祈願したのは相川小学校の府中八幡だったのです。また、石和>躑躅ヶ崎>宮前町と移転したように解されそうですが現在も3箇所に神社は存在します。
本日祭りです。
小さいころ遊んだから、御朱印が…😶
地域の神社です。小さな公園もあります。
夜に訪れ、なかなか風格があり楽しかった。
名前 |
八幡神社(甲斐惣社) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
055-242-1192 |
住所 |
|
HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/1064 |
評価 |
4.0 |
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狛犬指数3.0。甲斐国二個目の狛犬。江戸流の狛犬でした。境内に足を踏み入れたら突然ボワーッと風が吹いて枯れ葉がカサカサと音を立てて舞い上がりました。ちょっと幻想的で、不思議な感覚に襲われた。