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神社への道は田畑や森に覆われ、更に道が狭いので、車で行かれる際はご注意ください。道一つ間違えば田んぼや、民家につき当たり行き止まりになるので注意が必要です。ここの白山神社は、南北朝時代の名将 新田義貞の家臣が落ち延びた伝説が残る神社です。神社は祭礼の際は賑わうそうですが、普段は新緑の中にひっそりと建っています。神社の由来として石碑があります。鎌倉幕府を滅ぼした、名将新田義貞は、その後足利尊氏と戦い、越前燈明寺畷藤島 (現、福井県福井市新田塚町)の戦いで敗れ自害します。生き残った家臣16人は共に戦った千葉氏胤を頼り千葉へ落ち延び、氏胤に相談し、下総の国千田の庄に住む事が許され、加賀白山より携えた御神体を千田庄木積字神台に氏神としてこの白山神社と称し村の鎮守として祭りました。そして家臣達はこの地で暮らし始めたと伝わっています。そして16苗の氏名が記載されています。要約して上記のような記載があります。この周辺には、記載された家臣の名字の家も多く、家臣の子孫が繁栄されていることがわかります。新田義貞の生まれた群馬県の町では、町おこしで義貞公の遺跡が整備されていますが、一般的に敗将に係る遺跡はあまり整備されないまま朽ちて行くことも多く寂しいです。