武田信玄の韮崎合戦のいわれのある神社である。
名前 |
勝手神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6019 |
評価 |
3.8 |
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誰でも知っている戦国武将、武田信玄の韮崎合戦のいわれのある神社である。又一方で勝手神社のあるこの地には水害による凄惨な歴史が残っている。❸【参考 無縫塔 韮崎市誌 1978】勝手神社の無縫塔(主に僧侶の墓塔として使われる石塔)勝手神社の無縫塔は県下で2番目に古い。石塔に刻字は“文明十一年己亥 三月十一日 孝子建”“幸海尼魂”とある。文明11年とあるので1479年に建てられた。ちなみに最古の塔は 甲府市塩沢寺無縫塔で 応安7年(1374年)❷【参考 勝手神社 峡北神社誌 1962年】勝手神社応和元年(961年)、大和国吉野より勧請する享徳2年(1453年) 武田刑部大輔信守 本殿を建立する。天文15年(1546年) 韮崎合戦の時、武田信玄、いくさの勝利をこの神社で祈り、そして大勝を得たという。[祭神] アメノオシホミミのミコト(素早い勝利の神・勝つこと日の昇るが如く速)[鎮座地] 韮崎市韮崎町岩下小字榧ノ木988[例祭] 10月10日[境内神社] 道祖神 稲荷社 天神社外6社[社殿および建築] 本殿 拝殿 石華表2基 石灯籠3基 記念碑社号俵 狛犬1対※華表の内、1基は県文化材指定のもの、高さ180㎝ 柱周囲120㎝あまり 天禄元年(970年)10月 2位仲書記本願と刻んであるといわれるが、今は字形全部を正しく見えない。“天禄元年庚午十月二位仲書記本願”と刻されているといわれる。❶【参考 勝山の地と川 北巨摩郡誌 1915年】勝山総称 勝山という。茅ヶ岳噴火の時、溶岩流失して西に段丘を形成したが、浸食のため段丘が変形して、一の断崖となった。文化文政(1804年~1830年)頃は松や杉が生えていたが、藍川の堤防工事に伐採つくされ、今は雑林がまばらに生えている。明治14年(1881年)の大洪水の際、断崖崩壊しやや傾斜をなしている。藍川字岩下の西方を南流する。寛政2年(1789年) 大洪水には本村の大半浸水し文政11年(1828年)の大氾濫には再びいたたましい不幸にそうぐうし岩下組の民は飢餓に直面するなど悲惨な歴史がある。明治14年(1881年)の洪水の時も、山崩れがあって被害をこうむった。明治31年(1898年)の氾濫には、流失戸数 9戸に及ぶ。明治39年、43年(1906年、1910年)の水害には、田畑92町歩が流失した。藍川の本村に与える災い、いたたましい被害は数えきれない。