駒目山圓福寺の歴史を感じる。
岩戸岩不動の特徴
岩戸の岩不動は階段道を登る先にあるお堂です。
手水鉢に記された駒目山圓福寺不動堂前が魅力的です。
魅力的な歴史を感じる、印西市に位置する寺院です。
山号を駒目山、寺号を円福寺と号し、不動明王を御本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、徳川家譜代大名家臣・米津(よねきつ)氏の米津勘兵衛田政(1563~1625年)が米津出羽守陣屋を安土桃山時代の天正18(1590)年に当地に築城、江戸時代の寛永20(1643)年に再興、享保13(1728)年その陣屋内に不動尊を建立、寛政10(1798)年に陣屋が廃城となり、平成15(2003)年8月に発生した『平成15年台風第10号(激甚災害)』に因る倒木に巻き込まれ不動尊が倒壊、平成16(2004)年に再建、新居山円応寺(旧・相模国鎌倉郡)の末寺です。境内には、元禄6(1693)年製の如意輪観音像、寛保3(1743)年製の地蔵像、寛政6(1794)年製の十九夜塔、文政7(1824)年製の十九夜供養塔、平成17(2005)年及び平成22(2010)年製の石灯籠(常夜燈)が奉納され、享保6(1721)年に南陽院(印西市笠神)住職・臨唱法印が、泉倉寺(印西市和泉)住職・演順貫主と来福寺(印西市平賀)住職・頼如法印と広福寺(印西市師戸)住職・宥伝法印と共に、四国八十八ヶ所巡礼の写し霊場を開いたとされる県内最古の大師講『印西大師八十八ヶ所観音霊場』の86番札所に指定されます。東側の民家入口に接する脇道から進入し、非常に狭いスロープをのぼることで、西方公民館周辺の境内に駐車スペースあります。【西方御大師堂(境内説明板より)】江戸時代の中頃、印旛沼の西にあたる印西地区は大飢饉にみまわれた。南陽院(本埜村笠神社)の住職臨唱は、このようなさまを大変悲しんでいた。そんなある日、臨唱は弘法大師の夢のお告げにより、四国八十八ヶ所巡礼の旅に出た。弘法大師の聖地巡礼を成し遂げた臨唱は印西に地に帰り、南陽院の本寺である泉倉寺(印西市小倉)の住職演順に、印西大師札所を新たに創ることを申請し、享保六年(一七二一年)に始まった。西方御大師堂は、八十六番目の札所として建設され、地区や篤信の者に守られてきたが、風雨にさらされ老朽化したため、西方地区全体の繁栄を祈り地域の財産として、平成十八年三月十二日新築開眼供養を行った。平成十八年三月 西方地区一同。
岩戸の岩不動は手水鉢に「駒目山圓福寺不動堂前」と読めることから駒目山圓福寺と称していたようです。建物は近年、建て替えられました。
| 名前 |
岩戸岩不動 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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階段道を登った上のお堂。お堂の建物はま新しい。