のどかな風景の神社、三島神社伊豆神社合殿。
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名前 |
三島神社伊豆神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
048-522-2299 |
住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP | |
評価 |
3.0 |
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三島神社伊豆神社合殿(みしまじんじゃいずじんじゃごうでん)御祭神 事代主命 軻遇突智命由緒事代主命と軻遇突智命を祀る当神社は、のどかな田園風景の広がる下川上の南部に鎮座しています。当神社の東には愛染明王を祀る愛染堂が隣接していて、神仏習合時代の面影が窺われます。創建については、「昔、大飢饉があり、食べるものに不自由した時、村人が恵比須・大黒様を祀ったことに始まる」との伝えがあり、そうした経緯を反映してか、現在も豊作の神としての信仰が厚い神社です。一方、「風土記稿」は、当神社について「三島明神社 村の鎮守なり村持」と載せていて、その記述からは、当時は合殿ではなかったようにも思われます。しかし、伝えにある「大飢饉」は天明年間(1781~1789)のものと推測されていることや、「明細帳」にも「往古ヨリ三島神社伊豆神社合祭セリ」とあること、更に本殿が古くから二間社であることなどから、相当早くから合殿であったものと考えてよいと思われます。明治五年(1872)村社となり、明治四十一年(1907)に、字中内出の無格社熊野神社と字御嶽の無格社八坂神社を合祀しました。ところが村の中に病気がはやるなど、あまり良いことがなかったので、拝んでもらったところ「神様が元の所から動かないからだ」ということであったため、合祀したこの両社は二~三年で旧地に復し、今も合祀以前のように各々廓(村組)の人々によって祀られています。昭和四十八年(1973)に社殿の改修を行っています。(「埼玉の神社」参照)庚申塔(青面金剛像)境内に天保五年(1834)四月の、池上の夏目六郎右衛門建立の青面金剛三猿の庚申塔があります。庚申は、十干十二支の組合せで六十日に一回巡ってくる、中国渡来の道教の三尸説を取り入れた日本的な民間申信仰の一つです。三尸説では、人間の腹中には三尸という虫が棲み、常に生命を害そうとしていて、また人間は知らぬ間にも罪を犯している場合は多く、これが六十日たつと相当の罪となり、三尸虫は、庚申の晩に本人の寝しずまった頃を見計い、そっと天へ上り天帝にその罪を告げるものといわれています。そのため、三尸が活動するとされる庚申の日の夜は眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待」の風習がありました。青面金剛は庚申講の本尊として知られ、三尸を押さえる神とされています。愛染堂隣接する愛染堂の創建は大同元年(806)で、洪水で星川に流れ着いた愛染明王の像を村人が引き上げてお堂を作り、そこに祀ったのが始まりといわれています。