源頼政公の歴史を感じる首塚。
頼政塚の特徴
平安時代末期の武将、源頼政が自害した首塚がある場所です。
源頼政公が埋葬された歴史的な意味合いを持つ神秘的なスポットです。
現代においても多くの方々が手厚く供養に訪れる、貴重な史跡です。
想像以上に丁寧に祀られている印象。さすが清和源氏として初めて従三位についただけあります。栄華を誇ったものの、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで挙兵を計画し、諸国の源氏に平家打倒の令旨を伝えたところ、計画がバレてしまう。準備不足のまま挙兵を余儀なくされることになり、宇治平等院の戦いに敗れ自害した(以仁王の挙兵)と記録されています。
平安時代末期の治承4年(1180年)、源頼政は平氏を打倒するため挙兵したが失敗。宇治平等院の境内で自害したといわれています。遺言により東国に向かった首は、この地で重く歩けなくなり、ここはその首を埋葬した場所と伝えれています。結縁寺周辺には名馬塚、入定塚など他にも頼政にまつわる伝承が多く残っています。
平安時代に活躍した武将の頼政公の首塚です平安から時代が現代になり長い時間が流れても綺麗に管理させ今でも多くの方から手厚く供養とお参りされている感じでした平家軍の襲撃に奮闘するも敗れ自刃し京から家臣が首を持って逃げてきたが首が重たくなりこの地に手厚く埋葬され家臣が出家したと言われています大河ドラマの鎌倉殿の13人や平清盛にも源頼政公が出ていましたね車の方は気をつけてください駐車場はありません道幅も狭く近くには駐車スペースもありません少し離れた場所に停める必要があります。
車を止められるスペースは有りません。
結縁寺から大体徒歩で15分くらいでつくかと思います。
京都で自害して、首を東国へ運び首が重くなって動けなくなった場所。その首を運んでいた馬も供養されている名馬塚も近くにあります。ここにある黒い糸は御利益あるらしい何か重い空気があり、雰囲気ある場所でした。
頼政塚に供えられている糸案内板表記のとおり、塚には糸が供えられている。頼政塚と糸との由緒は、この説明だけではわからない。見たところ糸は普通に黒っぽいが、昔ながらの紺屋で染めた濃紺色なのだろうか。数年前にニンテンドー3DSでゲームをやり過ぎて罹患した右手首ドゥケルバン病(今は小康状態でも時々軽く疼く)にも効果があるのか試したくなったが、なんとなく畏れ多いので、止めておいた。縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない~♪♪ by 中島みゆき「糸」
源 頼政は、摂津源氏で、摂津国渡辺(現在の大阪市中央区)を基盤としたが、父の仲政が下総守に赴任した時に同行したというので、下総と何らかの縁があったのだろうか。
人知れず、時代の浪漫を感じられる場所。
名前 |
頼政塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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平家に敗れて自害した源頼政の、いわゆる首塚。僧となった家臣によりヒイラギが植えられ、堂が建てられました。木には黒い紐のようなものが括り付けられていますが農作業で痛めた手首に効能があると言われてます。