淡路呼潮の終焉地、歴史に触れる。
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| 名前 |
弥勒院 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0299-92-3176 |
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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大正の中期から昭和の初期にかけて活動していた大衆文学・児童文学作家・俳人、淡路呼潮(本名は芳太郎、法名は興澄)の終焉の地(1960年10月11日)。本院は入り組んだ住宅地の中にある。赤い山門を抜けると意外なほどに開けた境内があり、奥には本堂と僧房が、左手にはお墓が立ち並んでいる。お墓の近くには「神栖市指定文化財」に登録された「写経石」を解説する看板が建っており、これは「令和二年八月」のものらしく、割と新しい。これによると、少なくともこの寺院は文化六年(1806)にはあったらしい。平坦でだだっ広い砂利敷きの空間が境内の大部分を占めており、どことなく索然とした雰囲気だ。(以下、淡路呼潮について)淡路呼潮は明治二十五(1892)年に兵庫県林田村に生まれた。十代で上京、友人の伝手で北島春石(硯友社派の作家で、尾崎紅葉や柳川春葉の弟子)に師事した。数点の児童文学作品や時代物の大衆文学作品を残した他、作家活動が安定していた時期には各種の文芸雑誌や児童文学雑誌にも多く寄稿していた。昭和十年、生活苦から四国遍路を志し、数年の遍路を経た後で高田馬場付近の観音寺で得度。野田の金乗院や雨引山での住職の後、昭和二十四(1949)年ここ弥勒院の住職となり、地元の人々と交流する日々の末、1960年10月11日に没した。今ではほとんど忘れられた作家だが、日本文学研究者の遠藤純は「子ども向けの探偵小説においては、比較的早い時期からSF、科学的な探偵小説を手掛け、その分野において先駆的ともいえる作品を生んできている」と評価している。この作者について詳しくは、桜井均「呼潮へんろ塚」『奈落の作者』文治堂書店1978(呼潮と接した書店員による、呼潮の生涯を素描した詳細な印象記)、伊藤秀雄「淡路呼潮」『大正の探偵小説』三一書房1991(鹿嶋中央図書館に所蔵あり)、遠藤純「淡路呼潮の児童文学─探偵小説を中心に─」『国際児童文学館紀要』11号(現時点で最も詳細な伝記研究を含む)、伊藤秀雄「淡路呼潮について」『日本古書通信』70巻12号などを参照されたい。ちなみに、高田馬場付近にある観音寺(呼潮が遍路の末に得度した寺院)に、吉川英治ら友人が建てた碑「呼潮へんろ塚」がある。