苔むした岩道で登る達成感。
白旗城跡の特徴
勾配が急でゴロゴロした石道を進む、登城の挑戦があります。
三の丸からの上郡の田園風景は、心を癒す印象的な眺めです。
達成感を味わえる登頂後、美味しいご飯で満足感が得られます。
登城口からしばらくは問題ないのですが、少し先に進むと勾配も急になり、大きな石がゴロゴロしていますので、ちゃんとした装備をして登城することをおすすめします。伝・侍屋敷の石積、伝・大手郭の石積は見応え十分です。伝・大手郭は五段になっていますが、一番上の段と一番下の段の石積は、かなり良好な形で遺っています。
途中からかなり急な登りでした。二の丸~本丸あたりは土の中世城郭という感じでした。二の丸から下の曲輪群には石垣がたくさんあるみたいでしたが、道が不明瞭なのと脚力の限界を感じたのでパスしました。見学路が整備されるといいのになぁ。
急な登り坂、ゴロゴロ石、苔むした岩、真っ直ぐな木々、頂上では気持ちいい風♬1面ワラビ(笑)
三の丸から観える上郡の田園風景が印象的です。しかし、断崖絶壁の三の丸近くに罪人を落とす「千人落とし」があったそうで平和な現代に生まれてきてよかったと改めて思いました。序盤の岩場は、雨上がり滑るので登山靴での登山をおすすめします。
登り甲斐のある山です。太平記の時代に落城しなかった事から、受験生を中心に落ちないという縁起にあやかる人が来ます。ただし足元は要注意!しっかりした靴を履いていないと、落ち葉や岩で滑る確率大!落ちないですが滑る確率が高い城です。
足利尊氏を追ってきた新田軍約六万を五十日あまり足止めさせたそうですが なるほどね あれだけ石が有れば武器は要りません (・・;)
赤松円心の居城です。登りは中盤だけキツい(石くれだらけの沢沿い)です。片道、登山道を逸れて櫛橋丸や二の丸侍屋敷等の寄り道を含めて80分くらいです。三の丸は一番広いです。石積みも崩れているものが多く、はっきりとした石垣は少ないです。曲輪は結構綺麗に残っています。画像は三の丸と侍屋敷跡、最後は建武の新政時代の戦死者を弔う五輪塔です。今回は大手郭へは行きませんでしたが、次の機会に行ってみたいです。
2月の土曜日は11時に登山口に到着。手前の道路脇に駐車場の表示がありました、10台くらいは駐車可能でしょうか登山口の門をくぐり抜け10分位でトイレのある第一休憩ポイントに到着。こちらが実質的なスタート地点でしょう。改めて案内板で行程を確認しいざ落ちない山城へ足を踏み入れます行程は3段階になります、全体的に整備されておりますが中程の岩場エリアは非常にシビアでバランス感覚が要求されます。こちらは下りの方が難儀しました。スポーツシューズ以上、手袋軍手はおすすめします。数カ所ベンチが設置され腰を据え休憩もできますので自分のペースを持って登るのが一番でしょう♪登りで90分くらいかけて本丸跡に到着し落ちない山城を堪能しました当時ならば20㌔程の甲冑に軍備、行程をもって「これは落ちない」と実感できました!
落ちない城🏯受験の神様で昨年孫の為に登りましたが最初はかなりきついですが達成感があります。
名前 |
白旗城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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しらはたじょう。赤松氏の祖、李房が高山に白幡が降りてくる夢をみて、赤松にある山がそっくりだったので白幡山と名付け、赤松氏を名付けた言い伝えがあるとのこと。1333年後醍醐天皇が北条討伐を募ったとき、赤松円心が築城し本拠とした、もしくは1336年の新田のとき築城か。1336年新田義貞が赤松氏討伐のため攻撃したが難攻不落の白幡城を守り50日もちこたえた。1441年嘉吉の乱で満祐は書写坂本城を脱出し白幡城を目指したが落城を知り城山(亀山城)で滅亡。(日本城郭体系12より)太平記で聞いてた、あこがれの城にやっと来れました。無料駐車場で地元の人に話を聞くことができパンフレットも頂きました。水害の被害で麓の地形も変わったとか。駐車場から城登山口(説明板)、栖雲寺跡、トイレ説明板のある登山口、ここから尾根までしばらく登り。堀切、櫛橋丸、堀切、二の丸、馬場丸、本丸(白幡山440m)、三の丸などとなります。帰りに馬場丸南側、侍屋敷に行き、さらに大手郭ですがよくわかりませんでした。登山口から本丸まで散策しながら約70分でした。あと登山口から西1km付近に赤松氏居館跡もあります。