静寂に包まれた源範頼の墓。
源範頼の墓の特徴
修善寺から500m程歩いた高台に位置する源範頼の墓です。
整備された池や休息スペースがあり、静かな時間を過ごせます。
案内標識が随所にあり、迷わず訪れることができる場所です。
源義朝公の6男で、源頼朝公の弟・源範頼(のりより)公のお墓です。少し小高い位置にひっそりとありました。
修禅寺からは少し歩きますが、高台の開けた場所にあり、そばには休憩できる茶屋があります。車は街道沿いの駐車場に停めて歩きでないとお参りできません。
♪︎訪れる人は疎らで静寂だが良く整備され、池、休息スペースがある♪︎範頼は頼朝の異母弟、誤解による謀反の嫌疑をかけられ修禅寺信功院に幽閉される😭 1193年9月14日、梶原景時の一団に襲われ攻防の末に自刃 2021/11/26
2021/6/24なんだか落ち着く場所です。範頼公の無念が薄まるといいです。しかし、頼朝公てほんとに素晴らしい人だったのかな?かなり人物が小さいような…
たまたま通りかかったので寄りました。歴史に興味が無いとただのお墓でしか無いですね。
2017年10月訪問。遊歩道から外れたところにあります。修善寺は源氏一族にとっては苦難の地だったんですね。案内板の説明を読んで初めて知りました。朝早くにお参りしたら、地元の方が一生懸命掃除に励んでおられました。
観光スポットから少し離れたところに、源 範頼の墓はありました。民家の脇道などを通り、狭い小道を上がった丘の上にあります。源範頼は、源頼朝の異母弟。母は遠江国池田宿の遊女だったといわれています。1193年(建久4年)、源頼朝に謀叛の疑いをかけられた源範頼は、修禅寺(信功院)に幽閉されました。その後、梶原景時に攻められ自刃したのだと伝えられています。ちょっぴり切ない最期…( ᵒ̴̶̷̥́ _ᵒ̴̶̷̣̥̀ )昔はそういうの多かったんでしょうね。
分かりにくい処にありますが、案内標識も随所にあるため、迷うことは少ないと思います。どうしても迷いそうなら、mapの航空写真で入口を確認しましょう。丘の中腹にあるため、登り坂が苦手な人は遠慮したほうが良いかも?
修善寺の中心部から少し離れていますが、案内看板もちゃんとあるので、迷うことはなさそう。結構整備されています。しかし鎌倉の源氏にとって、修善寺はどういう地だったのか?頼家もこの地で殺されているし、彼らにとっては、正直縁起の悪い場所。
名前 |
源範頼の墓 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

鎌倉殿の13人ゆかりの地巡り。兄頼朝や鎌倉のために忠義を貫いたのに、政子に言った一言で謀反の疑いをかけられた悲運の武将。川沿いからは少し離れた小高い丘にお墓があります。範頼は死なず越前や比企郡吉見町に落ち延びたという説もあります。この説の方を信じたいものです。