中世の魅力、日近城址へ!
日近城址の特徴
中世の山城の構造がしっかり理解できる場所です。
日近の里の駐車場からアクセスが良く便利です。
看板があるため安心して見学できます。
2025/11/30 7時頃伺いました。お寺側から登り、帰りは武家屋敷跡(赤い橋の方)から下りました。道中は、整備されているものの足場が悪く、運動不足の方には辛いと思います。虎ノ口を上がった右手方面にWCもあるようです。(行ってないので未確認です)本丸跡地は眺望も望めないため、達成感は薄いです。スタンプを集めている方や、古の思いに浸りたい方以外は、あまり行かなくても良いのではないでしょうか…。熊も出るかもしれないので、行かれる方は自己責任でお願いします🙏
日近城は奥三河の有力な国衆だった奥平氏が戦国時代初期に築城した中世の山城です。当時の奥平氏は駿河と遠江の守護・今川氏に従っていて、日近城築城の目的は三河平野部に対する攻守の備えだと考えられています。奥平氏は三河を取り巻く情勢に合わせ臣従する相手を次々に乗り換えていきます。奥平貞勝が当主のときに嫡男の定能が他の国人領主と同調して織田氏と結び、今川氏の三河支配に反旗を翻したことで日近城も戦場となった日近合戦が起きました。その後も奥平氏は近隣の大勢力に領地を脅かされるたびに従属する先を替えていきますが、定能の長男・信昌が徳川家康の女婿となって最終的に徳川氏に仕え、主家の関東移封に従って奥平氏も奥三河から去ったことで日近城も廃城となります。今でも中世の山城らしからぬかなり立派な構造の縄張りを見ることができますが、これらは奥平氏が徳川氏に臣従した後に、対武田氏戦を見据えて日近城を使用していた徳川勢によって改修されたためだそうです。また駐車場近くの麓には、信昌が家康の長女・亀姫を迎えるにあたって離縁した元妻おふうらの墓もあります。離縁されたときのおふうはその当時に奥平氏が従っていた武田氏の人質になっていたため、奥平氏の離反を受けて処刑され首を晒されますが、後に生まれ故郷の日近城に埋葬されました。処刑されたときは数えで十六歳の若さだったそうです。駐車場から城趾の遺構までの距離は中世の山城としては比較的短いですが、そこに至るまでの道のりは結構な急勾配になっていて、一応整備はされているものの足下はそれほど良くありません。また足を滑らせそうな下りは上り以上に注意が必要です。
2023.6.18に訪れましたが、山崩れのため城跡には行けませんでした。奥平信昌の元妻おふうの墓にはなんとか行けましたが、また雨が降ればさらに崩れるかもしれません。駐車場は広く、おふうの墓からの眺めはよかったです。
良く遺構が残ってるし、案内板や説明板が各所にあるから良い、途中に立派なトイレがありなお。
2024/04再訪一部道が崩落しているそうです!おふうのお墓側の道から登り、城址まで行きトイレの横道から見晴台方面へ下れるとのことでした。※頂いた見取り図添付します!日近の里駐車場側から登りました。(おふうのお墓の方です。)こちらから登るとめっちゃめちゃ急でした。階段の幅も狭く、手すり等もないので軽装での散策はおすすめしません。階段自体も40cmくらい段があるところがありました。遺構自体は整備されていて、よかったです!帰りはお寺の裏に出る道を選択しましたが、最後の方で動物避け?のセンサーラジカセ?みたいなものがあってめっちゃビビりました…。
本曲輪までの登り階段は急勾配です。休み休みで行きましょう。
中世の山城の構造が良くわかります。
日近の里の駐車場にクルマを停めて登っていきます。向かって右手が階段、右手が正面口からの登り口となっています。ざっと10分かからないくらいでしょうか。遺構もしっかり残っています。
入口もわかりやすく、ところどころ看板もあるので、親切です。
| 名前 |
日近城址 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0564-23-6177 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
今日は、曇りでしたが、雨の心配はないということで、少し、足を延ばして、岡崎の日近城まで行ってきました。ここは、登城路は整備されているし、標柱は設置されているし、おまけに、見どころも多いしで、かなり、おすすめの城跡です。