白沢神社の歴史、今ここに!
白澤神社の特徴
延喜式内社としての歴史が感じられる白澤神社です。
静岡市葵区の牛妻に位置し、美しい景観が魅力です。
地元の方々に親しまれ、信仰が根付いた神社です。
白沢神社(しらさわじんじゃ)。静岡県静岡市葵区牛妻 。式内社(小)、旧村社。江戸時代は「白澤権現」と称していた。主祭神:伊邪那美命 建御名方命(合祀)大雀命 木花佐久夜毘売命資料によると、創祀年代は不詳。一説に、元明天皇の和銅三年(710)の創祀とも、和銅三年に諏訪神を合祀ともいう。式内社・白澤神社に比定されている古社で、古代から、白澤口に祀られた、土地の地主神。明治になって、牛妻村の若宮八幡宮・浅間神社を合祀し、四柱の神々を祀る。とあります。
延喜式内社。牛妻の集落から少し沢沿いに入ったところに鎮座している。1200年も前からこのあたりには人が住んでいたことになる。
| 名前 |
白澤神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4406162 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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書により「白澤神社」をしらべてみます。_____________927年に書かれた「延喜式」の書に載る神社ですので1000年は優に経過している神社であります。延喜式に駿河国安倍郡7座のうちの一つとして紹介されています❸【参考 特選神明牒 1925年】白澤神社 稱白澤大権現祭神祭日 9月19日社格 村社所在 午妻村字白澤(安倍郡北賤機村大字牛妻)考えてみると、本村の検地帳(水帳)を見ると、「白澤口」という小字(こあざ)の田畑が確認できる。もともと「白澤」はこの地域一帯を指す有名な地名であったが、今ではこのように小さな地名(小字)として残るのみとなっている。参考までに、このことを書き添えて考察の助けとする、とある________________❷【参考 駿河志料 第2編 1861年】白澤神社(近世には「白澤権現(しらさわごんげん)」と呼ばれています。社(やしろ)は門屋村との境にある山間に位置しています。)当社は「延喜式」に記載されている「白澤神社」です。風土記云所「祭伊弉冉尊成、豊国成姫天皇3年庚戌添祭諏訪神社云々【❶参照】」と書かれています。又神階については「諸郡神階帳」に「安倍郡 正五位上 白澤天神」とあります。〇[神階(しんかい)についての話]〇「諸社根元記(しょしゃこんげんき )」に「貞観以後10回も官位を一階級づつ授けられた」と記されています。これに従えば本来は最高位に達しているはずですが、いつのころからか衰退し近世では村が維持する社(やしろ)となり、粗末な藪(やぶ)の中にある「※仮初めの小さな祠(ほこら)」のようになっています。(※仮初の小さな祠・・本来の格式に合わない、一時しのぎで造られた小さな祠という意味)〇江戸時代の国学者・黒川春村がいうには、「官位の授位は貞観以前の仁寿元年にもあり、また後世の明応年間にもあって、合わせて12回である」といっています。〇「駿河志料」の著者である新宮高平(たかひら)がいうには、「神階のことは故・伴信友(ばんのぶとも)殿が説の中で詳しく述べており、黒川氏の「神祇雑考」にも精緻に論じられています。12回というのは仁寿元年、貞観元年、寛平9年、天慶3年、永保元年、永治元年、治承4年、元暦2年、建仁元年、弘長元年、明応10年であり、古文書を根拠として明らかにされました」とのことです。[この地について]この地が当神社の古くからの境内地であったことは明らかです。この沢を「白澤」と呼び、田畑の字名(あざめい)にも「白澤口」と検地帳(水帳)にあることから、もとはこの村一帯の地名であったものが、今はこうした小さな地名として残っているのです。また一説には、この沢のほとりに泉が湧き出ており、それが白く輝く「湯綿」を敷いたようであったため「白澤」の名がついたとも言われています。沢には数本の梅の木がありますが、里の人々や子供たちもあえてその実を採ることはせず、自然のままに生えており、その花の美しさは鑑賞するに値するものです、とあります。___________❶【参考 駿河国新風土記 修訂 足立鍬太郎訂】白澤神社 駿河牛妻白澤神社の祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)です。「豊国成姫(とよくに なりひめ)天皇の3年(和銅3年・710年)に、諏訪神社をあわせて祀った」という記録が残っています。この牛妻村において、今もなお「白澤神社」は門屋村との境界にある中澤の下、「白澤」という谷の間に鎮座しています。その沢の下の方にある田畑の字名(あざめい)を「白澤口」といい、この村の「検地帳」にその名が載っています。この神社は「延喜式神名帳」に載っている「白澤神社」であり、「諸郡神明牒」に「正五位下 安倍郡 白澤天神」と記されている神社であります。〇[もともと一つの村であった話]ここに神領として「公穀(こうこく)500束」とあるのを照らし合わせて考えると「福田ヶ谷・下村・門屋・牛妻の各村は、もともと一つの村であった」という説の通りでなければ、神領で500束という米を生産することはかないません。この村の人はそうした伝承を語り継いでいるが、「白澤」という名は今ではこの神社の名前としてのみ残っており、地域一帯を指す地名ではなくなっています。しかし、この地域が属した美和郷の名があった時代には古い地名であったようで、「和名抄」の郷名にも記されています。古い書に書かれている此の地の「献上品」に「さわだか」「うど」「ひしの実」「はすの葉」「鯉(こい)」「鮒(ふな)」「蟹(かに)」「えび」と言った品々はすべて下村にある「鯨ヶ池」でなければとれないものであることからも、かって一つの村であったことの証拠といえます、とあります。