酒井忠次が守った平山城。
福谷城跡の特徴
福谷城跡は標高77mの平山城で、歴史を感じる場所です。
酒井忠次が城主であった時代の痕跡が残っています。
駐車場がなく、アクセスは狭い道を通る必要があります。
福谷城(うきがいじょう)は、境川とその支流小石川に挟まれた標高100m前後の丘陵の先端に位置しています。主郭とその周辺に複数の曲輪・櫓・堀・土塁などを配した平山城です。現在は城山保育園南側一帯の丘陵に位置し、土塁を含む本丸部分が残り城趾公園として整備されています。西側の県道231号線に福谷城趾の道標があり、城山保育園の手前にも道標があります。周辺道路は狭く駐車場もありません。
若き日の酒井忠次の居城に柴田勝家が攻め入り、それを撃退した!どこの城?ワクワクするような物語がありそうだけど、地元の人もあまり知らない城がみよし市にある福谷城(跡)。車で行くにはちょっと勇気が必要で行くと駐車場がないので、近くの公民館の駐車場からしか行けないです。最近の大河ドラマは歴史考証が甘いといわれてから、有名どころじゃなくて、酒井忠次、柴田勝家辺りの若き日をテーマに大河ドラマを作って、ぜひこの埋もれたお城に脚光を当てて欲しいです。ただ行っても遺構好きじゃないと見るとこは少ないです。
史跡をそのままにしないでもっとまちおこしに利用すればいいなと…
桶狭間戦の少しまえの1556年、尾張統一に忙しい織田氏の武将 柴田勝家と今川氏に所属していた松平(徳川)氏の武将 酒井忠次がぶつかったと伝わる城だそうです。遺構はほどよく遺る城址だとは思いますが、規模は小さく堅さはあまり感じられない構造です。元々このみよし市近郊を治めていた土豪の居城だったのでしょう。縄張り図で確認しながら、民家の横のⅡ郭や崖状のⅡ郭、Ⅳ郭を見学するのは難しく覗く程度でしたが今回ゆっくり拝見できました。城址入口付近に駐車場は無いので東側の公民館か、北側保育園近くに停めて見学することをおすすめします。
小高い丘の上ににある平山城。建物は何も残ってなく整地された曲輪跡があるのみ。近くに駐車場がないので少し離れた喫茶店に止めさせてもらった。
駐車場もなく路駐できる場所は周辺にはないと思います。道幅は狭い為、大型乗用車でのアプローチはとても厳しいと思います。
現地までの道幅は狭く、駐車場はありません。階段を上がったところに案内板と雑草が茂った城址があります。堀や角櫓跡などが周辺にあるようですが、雑木林や私有地などがあるので注意して下さい。
標高77mの平山城徳川四天王、酒井忠次が城主だった時があるらしい(・о・)削平地の背後に土塁もっこり♪サイドには堀跡がザックリ♪まわりを散歩してみると...裏の幼稚園は曲輪では?裏山に物見ぐらいあったんじゃ?へっこんでるのは堀跡カナ?などなど何でも城跡に見える病が出てきて時間がたってしまう(*´σー`)東側の麓では発掘してるっぽいブルーシートにトレンチがあった(^o^ゞ 21`6/8なんか出てきたカナ?
桶狭間あたりのお城まわりを経て、19時過ぎに辿り着きました🚗東側からは車で行けるところではなく、駐車場もありません。西側からは、何となく停めることができそうなスペースがありました。小高い山のようになっている、それなりに防御力げ高そうなお城?砦ですね🎶
名前 |
福谷城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.2 |
周辺のオススメ

福谷城(うきがいじょう)は、徳川四天王のひとり酒井忠次が城主をつとめたことで知られる城です。現在見学できるのは本丸のみですが、土塁や堀跡も残っていて、詳細な説明板もありました。駐車場はありませんが、1~2台ならばスペースがあるので問題ないと思います。