海を見渡す三浦道寸の供養墓。
三浦道寸公墓所の特徴
三浦道寸殿のお墓は、絶壁の岬に佇む壮麗な供養塔です。
墓石側面には、道寸殿が生前に詠んだ句が刻まれていて貴重です。
北条早雲殿の戦国時代の歴史を感じられる場所となっています。
◆『三浦道寸義同(どうすんよしあつ)』の墓は「旧京急油壺温泉キャンプパーク駐車場」の奥から「胴網海岸」へと下りる坂道途中の脇道突き当りにあります。【三浦道寸義同(どうすんよしあつ)】●「三浦荒次郎義意(あらじろうよしおき)」の父。「三浦道香義教(どうこうよしのり)」の兄。戦国時代の武将。新井城城主。●1512年、北条早雲により、相模中部の「岡崎城」と逗子小坪の「住吉城」が落城。弟の道香義教は自刃。道寸義同は「新井城」に逃れる。●1516年、北条軍に敗れ、義意とともに討ち死に。享年65歳。相模三浦氏は滅亡する。♣《義同と義意の逸話》100人vs2万人、最後の最後まで抵抗を続けるが、義同は切腹を選び、義同を介錯した義意は、自ら首をかき切る。その首は憎き小田原に飛び、胴体は近くの浜辺の網に掛かった。「胴網(どうあみ)海岸」の由来とされる。享年21歳。身長227cmの義意は、相模三浦氏最後の当主として、父の近くに眠っています。弟の道香義教は逗子駅近く「延命寺」に墓があります。
【海を見渡せる場所にたたずむ供養墓】かつてこの一帯を治めた三浦氏の最後の当主「三浦道寸」公を祀る供養墓。三浦氏は強い力を持つ豪族でしたが、最後は後北条氏との激しい戦いの末、この地にあった新井城で壮絶な最後を遂げました。供養墓自体はこじんまりとした印象ですが、背後の森の先には海が見渡せ、胴網海岸にも近い場所に鎮座しています。アクセスは少し分かりにくく、油壺温泉♨バス停からキャンプパークまで歩き、そこを右折して行くと胴網海岸に降りる道がありそこを降りていく途中にあります。現在でも遺徳をしのび、5月あたりに近くの荒井浜海水浴場で供養祭「道寸祭り」が行われています(2023年は5月28日)。法要だけでなく神事として「笠懸」も行われており、砂浜を疾走する馬上から的を射る様はなかなか見ごたえがあります。付近には公衆トイレ等はありません。胴網海岸かキャンプパークにはありますが利用者むけ。油壺温泉♨バス停にあるトイレで済ませておくのが無難です。アクセスは京急バス「油壺温泉♨」下車徒歩。情報は2023年5月時点。
油壺マリンパークの駐車場から胴綱海岸へ降りて行く途中に三浦道寸公の供養墓はあります。
三浦道寸義同公の墓です。海の崖の断崖絶壁にあるので、真下は、海でした。ちょっと怖かったですけど、道寸義同公の墓は、良かったです!
階下の海岸が見渡せる場所にある北条早雲殿の最大の敵であり、平安時代から続いた豪族・相模三浦氏の事実上の最後の当主であった戦国時代初期の武将・三浦義同(道寸)殿のお墓🙏まるで一国の城の天守台に鎮座しているようなお墓で素敵だった🏯✨✨✨必見なのが墓石側面に彼が死ぬ前に読んだ句が刻まれているのがレアである🦉一応周りがヤバいので夕方時に参るのは余りオススメしないです⚠️
三浦氏最後の当主、三浦同寸の墓です。油壺マリンパーク駐車場から海へ続く道の途中にあります。
2020年3月11日新井城址を訪問しました。
切り立った断崖絶壁の岬の先っちょに供養塔が佇んでいます。風雨に曝されて表面の文字を読むのも一苦労です。
| 名前 |
三浦道寸公墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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