源頼朝がまどろんだ伝説の地。
間眠神社の特徴
源頼朝公がまどろんだという伝説が残る神社です。
鎌倉殿の13人ゆかりの地を巡るスタンプラリーポイントです。
境内には源頼朝がまどろんだ石があり、桜が美しいです。
頼朝公縁の神社。まどろみと読むようです。住宅街にひっそりとあります。頼朝様がお昼寝したようで、とても静かなこじんまりとした神社です。
鎌倉殿の13人北条氏・源氏ゆかり13の地を巡るデジタルスタンプラリーポイント。駐車場はないようです。三嶋大社から下田街道を徒歩で10分位下ると間眠神社の看板があり左に曲がると正面です。
【豊受姫命】を祭神として祀る神社です。治承4年(1180年)伊豆に流されていた源頼朝が、源氏再興の願を立て三嶋大社への参詣の途中、この神社の境内の大きな松の木の根元で仮睡した事から『間眠神社』と呼ばれる様になったと伝えられています。社伝に拠ると、元々は、韮山の長崎に祀られていましたが、狩野川の氾濫により祠がこの地に流れ着いたため祀られる様になったと伝えられています。その縁で、現在も8月1日の例祭日には長さ3m重さ80㎏の『大注連縄』が韮山の長崎から奉納されます。三嶋大社の様な賑やかさは有りませんが、非常に落ち着いた佇まいの神社です。三嶋大社前の道を徒歩で10分程真っ直ぐ南へ下り、右側にある看板を左に曲がると鳥居の前にでます。厳かな雰囲気の神社で、一見の価値があります。現在も境内には、源頼朝がまどろんだと伝わる松の木(ただし、六代目ですけれど)が有ります。
源頼朝の、三島大社への100度参りの途中に昼寝したという神社らしいです。私も神社200度参りの途中に昼寝してみました。
源頼朝公が伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた頃、源氏再興を祈願するために三嶋大社に百日間の参詣をする途中、路傍の祠の松の根元で、しばしまどろんだという伝説が残されています。その松が間眠神社に「頼朝公間眠の松」と呼ばれ残されています。今の松の木は六代目のようです。また、間眠神社は、元々は韮山の長崎に祀られてたのが、狩野川の洪水により祠が流されて、流れ着いたこの地 に祀られるようになったそうです。その縁により、神社入り口にある「しめ縄」は韮山長崎の地から奉納された大注連縄(おおしめなわ)だそうです。長さ2~3m重さ80キログラムにもあるそうです。ちょっと見たこともないくらい立派な「しめ縄」です。
豊受大神の神社とあったのですが、なにか謎が隠されていそう。稲荷神社や浅間神社、三島大社や伊勢神宮とも違う不思議な造りです。
ボーイスカウト三島5団にとって活動拠点であり、かつ、地域の方々との交流の場である、かけがえのない神社。
あまり知られていないけれど、源頼朝が韮山の蛭が小島から三嶋大社まで通う途中で「まどろんだ」という言い伝えがある場所に建てられた社。「まどろむ」は「微睡む」と書くのが普通なのだろうが、こちらの神社は「間眠む」と字を当てたようだ。近くに「間眠ハイツ」というアパートがあって、入居者は不眠症などに悩むことなく日々熟睡されているのではないかと想像される。
三嶋大社より南へ歩くとこの社にたどりつきます。江川家と縁の深いこの地ですが、率直な感想はどこにでもある神社です。廻りにはアパートが建ち並び、ゆかりを知らずに初めてこの地を訪れた時、私は何の感銘も受けませんでした。ただベンチに座って休息をとっていただけでです。
名前 |
間眠神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
054-261-9030 |
住所 |
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HP |
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4402044 |
評価 |
4.0 |
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左内神社同様、なかなかわかりにくい場所にありましたが何とかたどり着けました^ ^;こじんまりとした神社ですが、大きなしめ縄が印象的。源頼朝がお昼寝したという大きな平石からはパワーを感じました。車が止められそうな公園?がすぐ隣にありますが、入口はロープがひかれ駐車場禁止の看板があるので車はとめられません。三嶋大社とゆかりもあり、徒歩約10分で着くので車は大社に停めて歩くのも良いと思います。