奥平氏発祥の地で自然と歴史を感じる。
奥平城跡の特徴
南北朝時代に奥平氏が居た歴史的な名所です。
奥平城跡では、削平地を利用した畑が見られます。
自然に囲まれた静かな雰囲気が魅力のスポットです。
堀の跡はあるように思えたが、上に登ると畑と竹藪だけ。まぁ〜・・・。県道から奥平城跡方面に入って直ぐ、畑に奥平城跡の説明書きの看板が。そこから橋を渡って右の小高い丘が奥平城跡に。車は、俺のはNISSANキャラバンなので、橋の手前左側に駐車。そこから歩いて行きました。
奥平松平氏の先祖の地ということなので以前竹やぶのなかを進んで行きましたがさしたる遺構が発見出来ませんでした。今年の2月に訪れたときは説明坂が追加されました。立地はまずまずまずです。
案内板から上に 登って行くと削平地を利用したと思われる畑があります。その奥が本丸らしいのですが竹が生い茂り訪問したお盆の時期は全貌がわからない状態でした。草木が枯れた冬場にもう一回来てみます。
自然がいっぱいで良いね👍
現在の大阪城(大坂城)は、江戸幕府が建てたもの(天守閣は幕末に焼失したため鉄筋コンクリート製の復元)で、豊臣秀吉が築いた大坂城は地中に埋まっている。豊臣家の大坂城が、大阪夏の陣で落城した後、摂津大坂藩主として大坂の戦災復興にあたった人物として、松平忠明がいる。忠明は奥平松平家の祖とされる。忠明は奥平信昌の四男、母は徳川家康の娘・亀姫(盛徳院)であり、家康の養子となって松平姓を名乗ることを許された。奥平信昌は、父の奥平定能と共に、織田・徳川連合軍側につき、長篠城に立て籠り、武田勝頼軍の進撃を食い止め、長篠(設楽原)の合戦における織田・徳川連合軍の勝利に貢献した。長篠の合戦当時、奥平氏は三河国作手(つくで)の国人だったが、家伝では上州(群馬県)が発祥地と言われている。
奥平氏の城跡です。中世からの名手で後の松平信昌を出しています。
私の祖先と関係があるからね~
奥平氏発祥の地である。マイナー史跡好きには行って欲しい。
名前 |
奥平城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.2 |
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2019/2/22あの三河武士奥平氏が南北朝時代ごろまで居た場所である。奥平氏といえば徳川家臣の印象が強いがここが名字の地であるらしい。城跡は確かに切岸や曲輪があるという程度であるが、低湿地に突き出た大地先端を利用したものである。