多加牟久神社の奥へ、鳥居を越えて。
多加牟久神社の特徴
正面からの参拝を望む、厳かな雰囲気の神社です。
集落の旗立てを利用し、静かな参拝ルートを楽しめます。
鳥居を通り抜けると、さらに奥深い神秘的な空間が広がります。
本殿の裏側ではなく、正面から参拝したかったので集落の旗立てに車を置かせていただき集落内を抜けてエントリー左右のお墓を見ながら登ると鳥居がありさらに奥に。大きな常夜灯からは100段の石段。手水舎から右に曲がり案内板と本殿武内宿禰に命じられて用瀬の洗足山の賊を倒しにきた場所の高尾山が元々の社地というがどこだろう?神紋は『多』延喜式内社神饌幣帛料供進神社本殿、幣殿、拝殿、神饌所、社務所、参籠所氏子戸数 四十四戸(鳥取県神社誌)
自動車で行きました。神社の前まで自動車でいけますが場所がわかりにくい。グーグルマップのナビで案内してくれますが坂道を登って神社に入る脇道がわかりにくいので見落とさないように。
ココに入って大丈夫?と思うような道からアクセスします。駐車場はありますが、神社の裏手となります。表からのアクセスはどうやら、山道を登ってのアクセスのみで、どこが入り口なのか??ですが、境内は、人を寄せ付けない故に、なんか、強い。そんなイメージを感じる場所でした。
| 名前 |
多加牟久神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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多加牟久神社(たかむくじんじゃ)。鳥取県鳥取市河原町本鹿。式内社(小)二座、旧村社。【祭神】大己貴神 事代主神 (合祀)保食神資料によると、伝承によると、景行天皇の御代、熊襲叛乱の鎮圧に出発した武内宿禰が、播磨まで来た時に、播磨の住民が「因州金屋の洗足山に賊がいるので退治して欲しい」と懇願。その願いを聞き入れ、部下の多加牟久命に一軍を与えて因幡へ向かわせた。多加牟久命は賊退治のために派遣されてこの地へきたが、かつてこの地は大己貴命と八上姫とが契りを結んだ場所であったと知った。大己貴命の16代目の子孫である多加牟久命は、この場所に大己貴神を祀って自身は土着した。その子孫もまたこの社に多加牟久命を併せ祀って、代々神主として奉仕したという。また、他説では、多加牟久命を武牟口命とし、武内宿禰を日本武尊となっている場合があるが、話の内容は同じ。このような経緯から、本来の祭神は、大己貴命と多加牟久命の二座であったと思われる。当社は、もとは高尾山にあったらしいが、天正九年(1581)秀吉の鳥取城攻略の際に兵火に焼かれ、本鹿地区の麓に遷座。その後、本鹿地区で洪水がおこり、住民は山の中腹に移住したが、神社が下方にあるのは不敬であるとして、元禄二年(1689)現在のように、山の上に遷座したという。とあります。