木島本陣跡で宿場町の面影を。
木島本陣跡 歌碑の特徴
町指定史跡の木島本陣跡歌碑がある重要なスポットです。
玉村宿は例幣使道の第一宿で歴史的な背景があります。
慶應4年の大火で焼失した本陣の名残を感じられます。
いま本陣跡には歌碑が残されているだけですが、例弊使街道には車が行き交い、宿場町の面影があります(*^^*)
玉村宿の木島本陣には日光例幣使や大名が宿泊しましたが、慶応4年(1868)の大火で焼けてしまいました。日光東照宮への例幣使派遣は正保4年(1647)から慶応3年(1867)まで、221年間一度も中断もなく続けられました。通例、日光例幣使の帰路は東海道を通りますが、往路だけでなく、帰路も日光例幣使道を利用した参議綾小路有長が書き残した和歌が石碑となって当時の名残を止めています。「玉むらの やどりにひらく玉くしげふたたびきその かへさやすらに」(歌意=今回無事使命を果たし、玉村宿にふたたび戻ってきたが、前途の木曽路も一路平安であることを祈る。)
名前 |
木島本陣跡 歌碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0270-30-6180 |
住所 |
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HP |
https://www.town.tamamura.lg.jp/soshiki/18/siteisiseki.html#kijimahonjin |
評価 |
4.7 |
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町指定史跡木島本陣跡歌碑指定日 平成七年十一月所在地 玉村町大字下新田四八四玉村宿は、中山道倉賀野宿から分かれた例幣使道の第一宿でした。木島家は、本陣とし て朝廷からつかわされる例幣使や公務の役人 が宿泊しました。元の建物は、慶応四年(一八六八)の玉村宿大火で焼失してなく、屋敷 内には、天保十四年(一八四三)帰路も中山道を辿った例幣使参議有長の歌碑[建立文久 四年(一八六四)四月十七日]があり、当時の名残を物語っています。天保十四年卯月例のみてくらの使にかさねてむかひける帰るさに玉むらのやどりにひらくたまくしげ ふたたびきそのかへすやすらに参議有長平成八年十二月玉村町育委員会。