将門稲荷大明神が待つ場所。
稲荷神社(将門稲荷)の特徴
割れた窓から見える、昭和52年の赤い幟が印象的です。
平将門を御祭神とする特別な神社の歴史があります。
7人の家臣が逃げ帰った伝承が語り継がれています。
平将門を御祭神とする神社で、将門敗死時に7人の家臣が将門の遺骸を背負った状態でこの地まで逃げ帰り、遺骸を祀り『将門稲荷神社』と号したと伝承されています。御門コミュニティ会館前に駐車可能で、隣接する水神社とセットで参拝しました。
祭神は将門とされており将門の軍が敗れた際、7人の家来が将門の遺骸を背負ってこの地に逃げ帰り、遺骸を祭って将門稲荷と称したと伝えられている。この稲荷神社内に、将門像が祀られていたという。明細帳には「神影は直垂袴を着し右手に剣を握り散髪にして実に雲上の人を見るがごとし」と記されていたらしい。
名前 |
稲荷神社(将門稲荷) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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今でこそ鳥居の扁額に「稲荷神社」と見られるだけですが、扉の割れた窓から覗くと「将門稲荷大明神」と書かれた昭和52年の赤い幟が見えます。当社は祭神を平将門とし、天慶年間に将門の遺骸を持って落ち延びた遺臣7名によって祀られるようになり、本尊として将門の像がありました。その神像は直垂袴の散髪姿で右手に剣を握っていたそうです。