平将門の伝説を感じる、将門稲荷。
稲荷神社(将門稲荷)の特徴
割れた窓から見える、昭和52年の赤い幟が印象的です。
平将門を御祭神とする特別な神社の歴史があります。
7人の家臣が逃げ帰った伝承が語り継がれています。
小さめでコンパクトな神社。
今でこそ鳥居の扁額に「稲荷神社」と見られるだけですが、扉の割れた窓から覗くと「将門稲荷大明神」と書かれた昭和52年の赤い幟が見えます。当社は祭神を平将門とし、天慶年間に将門の遺骸を持って落ち延びた遺臣7名によって祀られるようになり、本尊として将門の像がありました。その神像は直垂袴の散髪姿で右手に剣を握っていたそうです。
平将門を御祭神とする神社で、将門敗死時に7人の家臣が将門の遺骸を背負った状態でこの地まで逃げ帰り、遺骸を祀り『将門稲荷神社』と号したと伝承されています。御門コミュニティ会館前に駐車可能で、隣接する水神社とセットで参拝しました。
祭神は将門とされており将門の軍が敗れた際、7人の家来が将門の遺骸を背負ってこの地に逃げ帰り、遺骸を祭って将門稲荷と称したと伝えられている。この稲荷神社内に、将門像が祀られていたという。明細帳には「神影は直垂袴を着し右手に剣を握り散髪にして実に雲上の人を見るがごとし」と記されていたらしい。
| 名前 |
稲荷神社(将門稲荷) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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『将門稲荷神社』住所→ 〒283-0024 千葉県東金市御門390祀神:平将門御朱印:なし駐車場︰あり備考︰・創建年代は不明であるものの、言い伝えとしては天慶年中(938年~947年頃)に勧請されたと考えられているようだ・平将門の7人の家来が、将門の遺骸を背負ってこの地に逃げ帰り、遺骸を祭って『将門稲荷』と称したと伝えられている・『宇迦之御魂神』や『豊受姫命』『吒枳尼天』と違い、『平将門』が主祭神として挙げられている稲荷神社は全国的に見ても珍しい・また、付近のお寺さんである『帝立山 妙善寺』も同じく『平将門』ゆかりのお寺であり、当地は数多く『平将門』とゆかりのある神社仏閣が多いことから、将門巡り旅で訪れる人も多い様子だ・『平将門』といえば、叛逆者や怨霊として悪名が世に広まってしまっているが、将門が農民の味方であり、農民の休戚のためにあえて叛逆をくわだてたという考え方もできることから農民愛護者として、此方の『将門稲荷』が生まれたのだろうと考えられる。・結果として敗北した為に悪名となっているが、歴史というものは勝者が正義のように描かれるのが常であることから、将門公にも正義があったのだろう・隣には『水神社』があった・基本的に無人の神社で人の気配はないが、掲示板があったり荒れていないことから定期的に人が来て手入れをしているようだった・駐車場は正式なものではないが、神社内に駐めるスペースは広くあるため、困らないだろう・令和7年12月1日(月)の10時18分頃に参拝させてもらった#神社#稲荷神社#結月大佐の御朱印さんぽ。