伊能忠敬の足跡を訪れる。
伊能忠敬記念公園の特徴
伊能忠敬の出生地に立つ、歴史的な石碑があります。
銅像や砂場が整備された、家庭でのピクニックにも最適な公園です。
静かな雰囲気の中で、忠敬の偉業に触れることができる貴重な場所です。
こじんまりとした公園地図好きの方は一度は訪ねてください。
千葉県の偉大な方、伊能忠敬。生家がこんなところにあったなんて!ボランティアの方々が手入れしてくれています。
ここだけを目的地にする価値がある、とは言い難いが、文句なしに江戸期を代表する実践的科学者の出生地がここだと思うと、やはり感動する。公園の形からして、当時の地割りのままなのかな? とも思う。とすれば、屋敷の面積は広かったと思われる。忠敬の幼少時のことはあまり明らかではないようだが、このへんはかつての上総国山辺郡小関村であり(いまでも小関の地名は残る)、彼は小関家の生まれなので、旧家の出であることは確かだろう。
地理学者伊能忠敬先生は、五十一才にて家督を長男景敬にゆずり江戸に出て西洋流の暦学者高橋至時(東岡)に入門、暦学・数学・測地法を学び、寛政十二年(一八〇〇年)四月、忠敬は蝦夷地(現北海道)の測量に出発、前人未踏の大事業の第一歩が始まる。時に先生五十六才、文化十三年(一八一六年)まで本州・四国・ 九州の全沿岸の測量に前後十七年、十回の測量のためついやした日数三三六五日という超人的なものであった。実に晩学の地理学徒である。先生は延享二年(一七四五年)二月十一日上総国山辺郡小関村の 旧家小関五郎左衛門の家に生まれる。(現九十九里町小関)父は上総国武射郡小提村(現山武郡横芝町) 神保貞恒である。貞恒は小関家の婿養子に迎えられ、妻ミネとの間に二男一女をもうける。末子次男三次郎こそ後の忠敬その人である。三次郎七才のとき(宝暦元年)母は病死し、父貞恒は長男貞詮、 長女フサを伴って神保家に帰り三次郎は小関家にとどまった。たまたま、小関家は漁業を経営していたので小関納屋の小関家納屋番として起居し三次郎苦境の少年時代であった。のち宝暦十二年(一七六二年)佐原の伊能長由の養子となった。十一才までこの地で磯の香に親しんで少年時代を送ったゆかりの地である。【現地案内板より抜粋】読んだ通り、想像力を遥かに働かさないと、なかなか此の地の魅力は味わえないかもしれません。と言うくらい、普通の公園です。ただ、手入れは行き届いており、地域の方々の崇敬が計り知れます。
伊能忠敬の生誕地です建物はなく石碑と銅像があるだけです車が5台ほど駐められる駐車場があります。
脇道の住宅街を進んだ先にあり、想像した立地と違って少し驚きました。でも、元々は家だったところな訳ですから、そういう立地にあるのは至極当たり前なのですよね。綺麗に整備されており、とてもよいところでした。当時の測量の地図とか手拭いとか、何かしら買って帰りたい気持ちになりましたが、そういったものはどこにも売っていませんでした。土産話の種がほしい…。そんなところですかね。
伊能忠敬の出生地家族で見に行くのも良いかも❗トイルもあるのでちょっとしたピクニックも行けますね❗
現在は、忠敬の銅像が立つ隣接の公園が目立つが、脇にひっそりと立っている「出生の地」の石碑がもともとの史跡。昭和12年2月に立てられ、徳富蘇峰の筆になるらしい。公園の銅像の前には、雄大な九十九里浜を模した白い円弧を描く構造物と砂場?がある。
何十年も九十九里に通ってますが、今回初めての訪問となりました。広い芝生の空地にわりと大きな銅像と石碑があるだけですが、トイレもあり静かで落ち着ける場所です。千葉を代表する偉人の生家があった場所だと思うと感慨深いものがあります。kk20aug2022
| 名前 |
伊能忠敬記念公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0475-70-3191 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
こんなところにひっそりあるんかーい!という位にマニアックな場所に偉人の出生地後の伊能忠敬公園。過去には佐原にあるお家にも行きましたが、そちらはとても賑わっており、もうちょっと宣伝したら良いのにと思い申した。でもバスが停まるスペースがあるので、時間帯の問題か🤔一度は行ってみるべきポイント!