南朝の巨城、険しい坂道の旅。
羽黒山城跡の特徴
体力に自信のない方にはオススメできない急な坂道が印象的です。
南朝から戦国期までの遺構が良く残る巨大な山城です。
登山道は危険が伴い注意が必要ですが、挑戦する価値があります。
鳥居⛩があり標柱が3つ倒れてる😅神社参道から登った結び目付きのロープがありがたい🙇横堀♬堀切♫土塁♬切岸♬枡形虎口♬主郭の石混じりの周遊土塁♬虎口凹み♫背後の大堀切♬土橋♬などなど遺構は多い けどヤブ化が進んで笹で見にくい部分も多かった標高約245mモチロン隣の楝峰城へ〜スタコラ
途中が急な坂があるのでロープに捕まりながら登る事になるので、体力に自信のない方にはオススメしません。
山頂に眠る南朝〜戦国期の巨大山城です。南朝時代、公家の春日顕国、戦国期に大塚氏が入り佐竹氏に滅ぼされて笠間氏が城主を努めたとされています。羽黒山山頂付近に無数の郭が連郭式に並び土塁と空堀で固めている。土塁の横矢掛けは無いが櫓台と思われる出っ張りに横矢がかかってます。主郭は羽黒山二所神社が鎮座しており、周囲を囲む土塁には石積も見られる。メインディッシュは城最深部にある台地を断ち切る巨大な大堀切でしょう。空堀の先には谷がありこちらの守りは万全。これは絶対見るべき遺構です。その先の藪を抜けると出城?の棟峰城に辿り着きます。登城口は緩やかな参道ですが、途中から山頂直下まで急勾配な直登なのでトレッキングシューズと軍手の着用をオススメします。夏は藪漕ぎ必須、冬場がオススメ♪駐車場はありませんが参道前に2台程停められます。
山頂に眠る南朝〜戦国期の巨大山城です。南朝時代、公家の春日顕国、戦国期に大塚氏が入り佐竹氏に滅ぼされて笠間氏が城主を努めたとされています。羽黒山山頂付近に無数の郭が連郭式に並び土塁と空堀で固めている。土塁の横矢掛けは無いが櫓台と思われる出っ張りに横矢がかかってます。主郭は羽黒山二所神社が鎮座しており、周囲を囲む土塁には石積も見られる。メインディッシュは城最深部にある台地を断ち切る巨大な大堀切でしょう。空堀の先には谷がありこちらの守りは万全。これは絶対見るべき遺構です。その先の藪を抜けると出城?の棟峰城に辿り着きます。登城口は緩やかな参道ですが、途中から山頂直下まで急勾配な直登なのでトレッキングシューズと軍手の着用をオススメします。夏は藪漕ぎ必須、冬場がオススメ♪駐車場はありませんが参道前に2台程停められます。
2023/2/26西側麓の鳥居から真っ直ぐ登るだけ、なのだか、段々急になりかなり厳しい。左手に浅い堀切が見えたら城跡。この堀切の周囲はかなりしっかり切岸されている。この上の曲輪は進むにつれ削平され、最後は堀切で次の曲輪へ。この曲輪はかなり高い土塁に囲まれており、なかなか感動もの。さらに切岸を登るとなにやら馬出しのような堀に囲まれた小さな曲輪の上が、いよいよ主郭。感動もの。周囲は完全に土塁が遺り、土塁の内側には石積が見られる。まじで素晴らしい。主郭の奥の曲輪はこれまた丸馬出しのような造りで痺れる。そしてフィナーレは笹薮を越えた先の大堀切。これまじで感動するレベル。いざ、棟峰城へ!
登山道の急坂は危険で注意が必要です遺構は良く残ってますが、神社のある郭以外は藪です。その先は道が不明瞭で藪ですが大堀切は見事です棟峰城への道も更に不明瞭ですので念の為、方位磁石など見ながら歩いてください。
入口のフェンスを抜けて、登っていきます。が、上の方は、ロープにつかまっての急登です。勾配が緩むと左に堀切が現れます。広い道を進むとまた、堀切りが有ります。(この道は、帯郭か犬走りかも?)左に登っていくと、小社が内側が石垣の土塁に囲まれています。(本丸)北へくだっていくと。ちいさな郭、堀切り、平場、堀切り、大きな平場が有って、それぞれに土塁がありました。大堀切を土橋で渡って下ると鞍部に出ます。此処からが棟峰城域になります。登っていくと、堀切を3本横切り平坦部に出ます(土塁が少し)このさき一段下がって、平坦な山稜になっています。(やぶ)4年前には有った筈の山名棟峰城のプレートを見かけませんでした。尚、入口の諏訪古墳も探しましたが、判りませんでした。地元の人も知らない、とのこと。羽黒山から棟峰城へのルートは薮で不明瞭なので御注意を。
西麓から登山道があります。緩やかな坂道はやがて急坂になり、てっぺんまでほとんど真っ直ぐに伸びています。ロープにつかまりながら何とか登り切ると羽黒山城跡へ。全体的に藪になっていますが、城跡はよく残っていると思います。本丸跡には朽ち果てた神社がありました。山の名前からして羽黒神社ではないかと。立派な土塁が取り巻き、内側を石積みで補強しています。北東尾根へ続く道は矢竹がびっしり生えており、道を探すのに難儀しました。少し藪が薄いところが道となります。道標などがないので迷いやすいかもしれません。北東へ5分も歩けば棟峰城跡があります。
| 名前 |
羽黒山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
比髙150m程になるだろうか。笠間城と盆地を挟んで対になる山城である。ほぼ直登に近い尾根を真っ直ぐ登るルートのせいだが、角度がエゲツなくてきつい。途中ロープに縋りながらよじ登る険道。両側が並木で(恐らく本郭にある羽黒山神社の)参道状になっているにも関わらずこの角度はどういう事なんだろう。昔は階段にでもなっていたのだろうか。登った先にはもう最初の郭があり、数郭に別れた城域が待っている。南北朝期の南朝六城の一つ、中郡城の有力候補と知って来たのだが、どうも戦国期の縄張りである。本郭のシンプルに湾曲した土塁だけ南北朝期の匂いがする。しかしそれでも虎口等の遺構もあり、戦国期に手を加えられたのは間違い無かろう。何故か土塁の内側に崩れてはいるが石垣の跡もある。そして謎なのが、尾根沿いに繋がる棟峯城の方向に立派な堀切である。幅も広くこの城一番の防御設備だろう。棟峯城とは距離的400メートル程しかない。普通なら連携していた城に思えるだけに気になる。仮説として2つ思いつく。棟峯城を前衛陣地と見立て、羽黒山城は主防御陣地として二重の防御ラインをしいたというのが一つ。もう一つは何らかの理由で、2つの城が異なる勢力に属したまま停戦状態になり、睨み合いを続けたというのがもう一つ。帰宅後調べると、中郡一帯は益子氏を圧迫した笠間氏の勢力下だったが、天正年間に水谷正村が侵攻。中郡支配を完成させたとの事。門毛城から岩瀬盆地に入り、笠間城からの援軍を阻止するため羽黒山を先に強襲。落城させてから、中郡支配の要たる橋本城を落とす。橋本城では後詰決戦に勝利しており、不敗の蟠龍斉の面目躍如である。強い。残る謎は何故目と鼻の先の棟峯城も落とさなかったかだが、西念寺に残る話がそれっぽい。水谷と争った笠間時弘が西念寺に逃げ込み自害しようとした。それを見た時の住職の了与が単身水谷側の本陣に乗り込み和睦を成立させたと言うもの。西念寺は丁度羽黒山の東、笠間側に当る為、これなら話が通る。橋本城から戻って来た水谷勢が棟峯城攻略に取り掛かる前に笠間側と遭遇戦。水谷勝利で和睦が成立し、羽黒山を岩瀬盆地の東端の拠点として見る水谷側、笠間盆地の西端の拠点として見る笠間側でそれぞれの城の保持が落としどころになったかも知れない。結果、至近で睨み合いが持続された為、登るのも大変な山上での防衛設備が時間をかけて強化されたという事なのでは無いだろうか。長々と妄想の考察を書いてしまったが、知名度がない城だが非常に面白い。是非急坂を踏破して戦国乱世を偲びに行って欲しいですね。