木下杢太郎の文化深い世界。
伊東市立木下杢太郎記念館の特徴
伊東市を代表する文化人、木下杢太郎の記念館です。
付近には生家があり、昭和初期の暮らしを体感できます。
資料が充実していてアットホームな雰囲気のスタッフがいます。
伊東市を代表する文化人の記念館!医師でもある氏の教養の深さがつたわってきます。奥の旧家も見学出来ます❗️100円の拝観料に感謝です。
木下杢太郎って中原中也的な詩人とばかり思っていたが、画家であり、医師であり、ハンセン病の研究もしていたと言う地元の名士で、太宰を虐めたり、小林秀雄に女を取られるようなロクデナシと一緒にしてはあまりにも無礼だ。与謝野晶子や啄木と言った気難しい文人にもその人柄を気に入られるくらいだから、人としても超一流だったのだろう。ここに来れてよかった。
木下杢太郎記念館 入館料100円で、無料の駐車場もあります。文学とか絵にはあまり興味がない自分ですが、奥にある、天保6年(1835年)に建てられた木下杢太郎の生家は、非常に興味深かったです。
ここは 非常に勉強になりました。
大変勉強になりました それと先生は素晴らしい人でした 本当は皮膚科の先生だったんですね❗🥰
木下杢太郎記念館です。ただ、東京にお住まいの方は、鉄道始まって以来の天才技術者と評された、兄の太田圓三の方を御存知かもしれません。太田圓三は、隅田川六橋をはじめ震災で焼失・崩落した100以上の橋の設計に尽力したそうです。隅田川にかかる永代橋・清洲橋は現在、国の重要文化財に指定されているようですね。展示室裏手には、天保6年(1835年)に建てられた杢太郎生家が当時のままの状態で保存され、伊東市内において現存する最古の民家として市指定文化財となっています。かなり歴史を感じさせますね。伊東駅からも近く、無料で見学できる日がありますので、ぜひ立ち寄ってみてください。
ここは、木下杢太郎が余りにも有名なので、木下杢太郎記念館と称していますが、「米惣」という雑貨問屋 であった、2代目伊東市長の太田賢治郎、土木技術者の太田圓三、木下杢太郎こと東京帝大教授で医師の太田正雄の兄弟たちの生家です。木下杢太郎の兄の太田圓三は、やはり東京帝大卒の鉄道土木の大家で、関東大震災からの復興事業において、後藤新平総裁の下、帝都復興院土木局長に抜擢されて「震災復興橋梁」の建設などで東京の復興に貢献しましたので、東京の人にもよく知られています。むしろ東京府立一中に行っていましたので、東京生まれの人だと思っている人も多いのではないでしょうか?関東大震災の復興事業では、帝都復興院を引き継ぐ復興局で道路橋の建設に尽力、美観に優れた隅田川六大橋(相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋)など多くの橋を建設しました。隅田川に架かる橋の多くは彼が作ったものです。
記念館の隣が生家。入場料は¥100。一回行けば良いかな。
伊東市の昭和初期の暮らしが体感出来ます。当時のままの旧家の建物が残されています。入場料は100円税込でお手頃❗地域の文化を知る上ではお勧めです🎵
名前 |
伊東市立木下杢太郎記念館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0557-36-7454 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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優秀な人がいらっしゃったんですね、知りませんでした。土地の人々が誇りにしていることを感じました。