小栗上野介、歴史の終焉を訪ねて。
小栗上野介忠順終焉の地の特徴
地元の思いが詰まった小栗上野介の史跡です。
幕末の歴史を感じる場所で、見逃せない散歩スポット。
明治維新の裏に隠された功績に思いを馳せる場所です。
2027年の大河ドラマは小栗上野介だそうで、終焉の地を訪れてみましたが、再来年ではまだ盛り上がる前ですね。時代とはいえ無実の罪で斬首された無念はいかばかりか。
慶応四年(1868年)閏4月5日、上野介と家臣三人は捕縛され何の取り調べもなく、翌日水沼川原において斬首された。時に上野介42歳。終焉の地には、「偉人小栗上野介罪なくして此処に斬らる」と刻まれた碑(小栗公顕彰慰霊碑)が、昭和七年(1932年)地元の有志等により建てられた。実は、この碑に刻まれる文言の試案がもうひとつあり、確か「小栗上野介忠順終焉の地」だったと記憶しています。本来ならば、この文言は採用されなかったが、地元有志の強い要望によりこの文言が採用されたと伝えられている。この「顕彰慰霊碑」がある一帯を「小栗上野介忠順終焉の地」と呼び、高崎市指定史跡に指定されている。
小栗上野介に対する地元のみなさんの思いが伝わってくる場所でした。
ここを訪れるのは2度目です。小栗公とその家臣たちが、無実の罪で斬首されました。どのような思いで臨んだのか?
罪なくして捕らえられ、取り調べもなく翌日に斬首するという非情なことを指示したのは明治維新で活躍した勝海舟なのか板垣退助なのか?それとも?
歴史に名高い、小栗上野介の最期の場所正直、詳しいことは知りませんでした(^_^;)ただ、これだけ優秀な方なのでもっと活躍できたであろうと。今を生きる我々がもっと考えて、良くしていかねば申し訳ない気持ちにたなりました。とてものどかな場所ですので、道の駅に立ち寄りがてらに訪れてみては如何でしょうか(^-^)
幕末に活躍した幕臣、小栗上野介忠順終焉の地。薩長に対して主戦論を唱え、役職を罷免される。知行地である権田村に隠遁したが、新政府軍に捕縛され取調べもなく、翌日には処刑された。菩提寺である東禅寺には小栗の墓や遺品、数々の功績を伝える資料が展示されている。
小栗上野介終焉の地散歩幕末、小栗は一家揃って高崎市にある東善寺に移り住む。村の水路を整備したり塾を開くなどして過ごしていた。慶応4年(1868年)小栗は東山道軍により東善寺にいるところを捕縛され、2日後、取り調べもされることもなく近くの河原で斬首されている。42才。籠に乗せられてこの地に連れてこられ、その籠をこの場に放置していた。この籠は、今、東福寺に安置されている。
小栗上野介、罪なくして此処に斬られる❗️さぞや無念の事であったろう‼️アメリカ🇺🇸との交渉も勝海舟の裏に隠され、商工業での功績も隠され、誰か大きな圧力の基に潰されたのだろう。その辺りをどなたか探求解明して頂きたい。今までの歴史をひっくり返す様な史実が解明される事を望む⁉️
名前 |
小栗上野介忠順終焉の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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小栗上野介忠順は咸臨丸にてアメリカに渡り、江戸幕府の要職について横須賀造船所は小栗上野介の提言による建設された。小栗上野介は慶応四年(1868)に薩長連合軍に江戸幕府として徹底抗戦の意見が受入られず領地の権田村に帰ったが、官軍に捕らえられてこの地で3人の家臣と共に処刑された終焉の地です。