小栗上野介のお墓へ、幕末の英雄の散歩。
小栗上野介忠順の墓の特徴
小栗上野介忠順のお墓は、幕末の英雄の祈りの場です。
無料駐車場が完備され、訪問が便利な史跡です。
東善寺の近くに位置し、歴史を感じる散策に最適です。
お寺のすぐ横に供養墓、山を少し登ったこちらが本墓です。最期まで付き従った家臣達と共にここに眠ります。日本の近代化に尽力しながら非業の最期を遂げられた小栗公のことを想うとなんともいえない気持ちになります。合掌。
日本のために頑張って頂いた英雄です。展示品は少ないです。何故なら薩長が奪いやがったからです。
あまり知名度はないですが、幕末の日本に近代化をもたらした人物の一人です。大河ドラマ「青天を衝け」でも武田真治が好演していましたね。アメリカに渡った時に手に入れた「ネジ」が印象的でした。静かなお寺にご子息と並んでお墓があります。
近代日本の先駆者として走るも時代や人に翻弄され、その命を絶たれた偉人。本墓は東善寺裏手の小山の上にあります。
幕末に活躍した幕臣。小栗上野介忠順の墓。数々の要職を歴任し、日本の近代化に功績があったが、幕末の動乱において新政府軍に警戒され、隠遁していた権田村にて捕縛、処刑された。東禅寺に訪れて小栗の功績や顛末を知ったが、名誉が回復される事を願わずにはいられない。
小栗上野介忠順は幕末の名臣ですが、何故だかあまり知られていない存在です。(かなり前に徳川埋蔵金伝説でそれを隠した中心人物として名前が上がっていた事がありましたが……)確かに幕府の勘定方として埋蔵金は準備可能だったはずですし、最後の将軍であった徳川慶喜がもし徹底抗戦を主張したならば、彼は充分にその期待に応えられた立場だったハズです。なので蟄去していても新政府軍により危険視され、有無を言わさずに処刑されると言う悲劇に繋がってしまったのだろうと思います。もし彼の才能の維新後も発揮出来たら、日本はもっと早く近代化したのだろうと思いますが、今は東善寺の中にひっそりと眠っています。もっと小栗上野介忠順に注目されて欲しいです。
小栗上野介終焉の地散歩幕末、小栗は一家揃って高崎市にある東善寺に移り住む。村の水路を整備したり塾を開くなどして過ごしていた。慶応4年(1868年)小栗は東山道軍により東善寺にいるところを捕縛され、2日後、取り調べもされることもなく近くの河原で斬首されている。42才。
高崎から山を登り左手側に東善寺駐車場があり車で来れます。小栗上野介の入館は100円、線香100円ライター貸し出し無料。幕府側の有能ある人物小栗上野介とはどんな人物か?寺には書籍等が販売されており、中には日記もありこの人物がどんな人物か?ご当地書籍は街に無い稀覯本があります。
県指定史跡で東善寺駐車場を利用します。幕末開明の人、遣米使節の後、勘定奉行などの要職につき、横須賀製鉄所の設立を初め、日本の近代文化のために多くの業績を残した人物です。明治になり権田に隠棲しましたが、『反逆の企て』があるとされ非業な最後を遂げました。ここ東善寺境内に小栗上野介父子の墓があります。小栗上野介に関連した史跡としては、ほかに観音山小栗邸跡、小栗上野介忠順終焉の地が市指定史跡となっています。
名前 |
小栗上野介忠順の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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幕末埋蔵金を運んだらしい小栗上野介さんのお墓。しかし今更ながら斬首とか恐ろしい時代だなと。