頭が四角い不気味なお地蔵。
深沢の角地蔵の特徴
頭が四角いお地蔵様が祀られている、珍しい寺院です。
石工が途中で逃げ出した、独特の歴史があります。
黒久保村の心霊的な背景が興味を引く場所です。
世にも珍しいお顔が未完成のまま、祀られている地蔵です。
頭が四角いお地蔵様がいます。石工が途中で逃げ出したので頭が未完成のままの角地蔵が誕生したとか。巷ではところてんの助地蔵とも。下の窓ガラスからチラッとしか見せないくせにお賽銭はちゃんと取れるよう扉の隙間に割り箸を仕込み賽銭箱に入るよう工夫をしてあるのがニクいところです。
石工に地蔵を彫らせたが、不気味な事が重なり石工が途中で逃げ出した為、仕方なく頭が四角いまま祀られたそうです。
名前 |
深沢の角地蔵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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ユーチューブで黒保根村の心霊的な動画を見て、どのような歴史的背景が黒久保村にあるのかを興味をそそられてしらべてみた。心霊的な動画とは全く関係ない、もしくは見当違いなのかもしれないが、此処に行きついた。なお、今は 黒保根村ではなく、“みどり市” となっている。注意事項として、「赤城山」という古書には、盈仙(えいせん)和尚の石碑の件は「干時寶永二壬申歳六月卅日」、つまり「寶永2年(1705年)」とあり、“みどり市”の「宝暦2年(1752)」と元號が違う。調べ自体が「赤城山」中心の為、私の場合は、寶永2年(1705年)としました。❶【参考 赤城山 大正5年(1916年)】桐生塚[所在地] 黒保根村_大字_上神梅村_字_飯米場(はんまいば)里人の俗称 「千人塚」と呼ばれる。塚上石碑あり。(※1)これは天正7年(1579年)8月、由良國繁(ゆら_くにしげ)新田(にった)、桐生(きりゅう)の兵を深澤(黒保根町宿廻)に向かわせた時に、国重の兵170名余りが戦死したという。これを此処にあわせ葬りたるものであるという。寶永2年(1705年)正圓寺の盈仙(えいせん)和尚が石碑を建て鎮魂をしたたのであろう。石碑に名前が見える。[参考 みどり市ホームページ 文化財 \u003e 大間々エリア \u003e 深沢の角地蔵から抜粋]盈仙(えいせん)和尚が、地蔵堂建立のため各村に行脚し浄財を集め、石工を招き仏像を彫らせていた。たまたま不思議なことばかり起こるので、頭部が完成されず石工が逃げ出したという。このことについて天明の頃、高山彦九郎が深沢宿を通った時の日記に、「石工に申付けたるに石工価にあたらて半途にして逃げたりといふ。」と書いてある。土地の人は寸法ちがいで出来ず「間違い地蔵」と呼んでいる。とある。(※1)石碑戦死者数は不明であるが、その首を集め埋めて塚を作った。其の塚を桐生塚という。とある。[石碑の表] 「南無阿弥陀佛」[石碑の裏] 「天正七己卯(1579年)八月二十三日 戦死者幾許乃集其首埋之築塚號桐生塚與云々」[石碑の横] 「干時寶永二壬申歳(1705年)六月卅日(30日)」[石碑の横] 「正圓寺見住二十八世三部都法傳燈大阿闍梨竪者法印盈仙」