田中家の赤青版薬、受け継がれた伝統!
旧安中藩杢ヶ橋関所跡の特徴
代々、田中家が赤青版の薬を世襲してきた歴史があります。
三国街道の要所として設けられた関所の存在意義が感じられます。
越後の大名や佐渡金山奉行も訪れた歴史的な場所です。
この関所は、越後の大名や佐渡金山奉行が往来する三国街道の要所として設けられました。碓氷の関所に次ぐ、上州第二の関所として重要視され、初めは碓氷と同じく安中藩が、のちには高崎藩が警護に当たり、特に入り鉄砲と出女に目を光らせたのだそうです。現在は民家となっていますが、当時の面影を伝える茅葺きの役宅が残されています。ここには、もともと杢ヶ橋という跳ね橋がありましたが、度重なる出水によって流されました。ここが渡れないと、旅人は四キロ上流の祖母島番所にまわり、そこから吾妻川を渡りました。それでも渡れないときは、二十キロ上流の吾妻町の万年橋まで行かねばなりませんでした。昭和二十年頃までは、ここに渡し舟があり、赤城村や子持村から渋川伊香保方面へ行くのに使われていましたが、カスリーン台風の洪水以後、廃止されたといいます(^_^ゞ
| 名前 |
旧安中藩杢ヶ橋関所跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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代々、赤青版の薬を田中家が世襲してきた。現在の代の5代前が最後の関所の役人だと言う。関所の向こうは吾妻川。この川が増水すると旅人は足止めに。佐渡に金を掘らせるための、罪人や無宿人が入る地下牢が今も残る。三国街道は島送りの道だった。