延喜式に記された伊豆佐賣神社。
伊豆佐比賣神社(志和彦神社・鹽竈神社攝社)の特徴
平安時代に編纂された延喜式に由緒がある神社です。
開発が進む町にあって、貴重に残った歴史ある神社です。
陸奥國宮城郡の式内社としての重要な位置を占めています。
伊豆佐比売神社(いずさひめじんじゃ)。宮城県宮城郡利府町飯土井長者。式内社(小)、旧村社。【祭神】溝咋比売命(みぞくいひめのみこと)溝咋比売命は、三島溝咋神(みしまのみぞくいのかみ)の娘で、玉櫛媛(たまくしひめ)、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)とも呼ばれる、神武天皇の皇后となる媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)の母にあたる、日本神話の重要な女神です。大物主神(または事代主神)の妻となり、神武天皇の皇后を輩出したことから、皇室の祖先神として重視され、美貌の女神としても知られています。資料によると、九門長者屋敷跡という小高い丘上に鎮座する。この長者屋敷には、坂上田村麻呂に関する伝承が残されている。伊津佐比売神社、伊豆薩姫神社とも。『日本文徳天皇実録』には陸奥国伊豆佐咩神とあり、近年までは、御姫の宮とも呼ばれた。創祀年代は不詳であるが、『奥羽観蹟聞老志』などによれば、飛鳥時代の天武天皇2年(673年)に祭祀用として天子から賜る田である圭田を奉り、神祭を行ったという。御祭神は伊豆佐比賣命。溝咋比売命ともされるが、どのような神かは論争がある。伊豆国との関わり、温泉との関わり、あるいは穀物神など。『日本文徳天皇実録』仁寿2年(852年)8月7日の条に、正五位下に進んだ旨の記事がるが、「加正五位下」とあるので、それ以前に神階の授与があった可能性がある。その後の沿革は不明だが、鎌倉時代の頃の社殿が江戸時代前期の万治3年(1660年)2月の類焼により焼失したという。また、江戸時代中期の正徳5年(1715年)、仙台藩4代藩主伊達綱村が社殿を建造したと伝えられている。いつの頃からか鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の末社とされた。明治維新の際、当社の神域が陣営となり、戦闘により社殿などの建物が破壊され、暫時祭典の礼を欠いたという。明治9年(1876年)に村社に列し、翌明治10年(1877年)3月に鹽竈神社の摂社に定められたが、昭和2年(1927年)5月5日、当地の人達の努力により、村社列格となった。大正5年(1916年)12月には沢乙の小刀神社と熊野神社、神谷沢の熊野神社、菅谷の熊野神社、入菅谷の加茂神社の5社を合祀。大正9年(1920年)には本殿及び拝殿を新築した。現在は鹽竃神社からも独立している。当社は岩手県斯波郡赤石村(現 岩手県紫波郡紫波町桜町付近)と仙台市宮城野区岩切字畑中に分祀され、岩切にある分祠の鳥居は当社へ向けて立てられているという。とあります。
陸奥国 宮城郡 延喜式内 伊豆佐賣神社の比定社の伊豆佐比賣神社です。名前の変移は諸説ありますが正式には伊豆佐賣神社です。丘の上に鎮座していますがこの丘には坂上田村麻呂に纏わるエピソードがあり、案内板に詳しく書かれていました。拝殿左手には飯土井稲荷大明神と石祠にそれぞれ鳥居があり丁寧に祀られておりました。参道は草刈りがされたばかりで歩きやすく気持ち良くお参りする事ができました。感謝。
2022年3月訪問。とにかく道路から入りにくい、畑の隅にようやく駐車。長者伝説の場所ですが、寂しげな様子。狛犬もなく、かろうじてお賽銭をあげる。そばにはお稲荷さんがあり、人の参拝が篤いようです。鹽竈神社につながる社として、歴史ある社として、末永く残ってほしいです。
延喜式神名帳の陸奥國宮城郡の項に、伊豆佐賣神社と記載のある式内社。御祭神は伊豆佐比賣命(または溝咋比咩)となっていて、社伝によると創建は天武天皇の御代と伝わる古社。・鎮座地は周辺を見下ろす小高い丘の上。この丘は長者屋敷とよばれていて、坂上田村麻呂の伝承が残る。・伊豆佐比賣命(延喜式神名帳には伊豆佐賣となっているが)はどのような神様なのかはっきりとしていないが、出羽國の由豆佐賣神社(鶴岡市の式内社で、溝樴姫命を祀る)と同様に温泉の神ではないかという説、また、鎮座地の字が飯土井であることから「飯豊」であり、穀物生産の神ではないかという説もある。・写真にあるように、この場所には九門長者という者の屋敷があった場所との伝承がある。要約すると、この長者の召使に紀伊の公家の斎大納言の娘がいた。姫は伊勢詣りの帰りにさらわれて、この長者に売られた。名前は悪玉(あくだま)と言った。さらわれた際に観世音菩薩に普通の人には醜く見え、高貴な人にはもとの美しい姿にみえますように、と祈願していた。蝦夷征伐のために長者の屋敷に立ち寄った坂上田村麻呂はこの姫を見染めて、男児を産み、その後、悪玉と男の子は坂上田村麻呂に会うために都に行き、男児は二代目の田村麻呂になったという。・このような伝承は東北には多い。坂上田村麻呂が苅田麻呂の場合もあるし、悪玉は阿久玉姫、飽玉姫だったりもする。
延喜式神名帳の陸奥國宮城郡の項に、伊豆佐賣神社と記載のある式内社。御祭神は伊豆佐比賣命(または溝咋比咩)となっていて、社伝によると創建は天武天皇の御代と伝わる古社。・鎮座地は周辺を見下ろす小高い丘の上。この丘は長者屋敷とよばれていて、坂上田村麻呂の伝承が残る。・伊豆佐比賣命(延喜式神名帳には伊豆佐賣となっているが)はどのような神様なのかはっきりとしていないが、出羽國の由豆佐賣神社(鶴岡市の式内社で、溝樴姫命を祀る)と同様に温泉の神ではないかという説、また、鎮座地の字が飯土井であることから「飯豊」であり、穀物生産の神ではないかという説もある。・写真にあるように、この場所には九門長者という者の屋敷があった場所との伝承がある。要約すると、この長者の召使に紀伊の公家の斎大納言の娘がいた。姫は伊勢詣りの帰りにさらわれて、この長者に売られた。名前は悪玉(あくだま)と言った。さらわれた際に観世音菩薩に普通の人には醜く見え、高貴な人にはもとの美しい姿にみえますように、と祈願していた。蝦夷征伐のために長者の屋敷に立ち寄った坂上田村麻呂はこの姫を見染めて、男児を産み、その後、悪玉と男の子は坂上田村麻呂に会うために都に行き、男児は二代目の田村麻呂になったという。・このような伝承は東北には多い。坂上田村麻呂が苅田麻呂の場合もあるし、悪玉は阿久玉姫、飽玉姫だったりもする。
平安時代の中頃に編纂された歴史書「延喜式」に記載されている由緒ある神社です。現在、神社がある場所には、かつて九門長者という大地主が住んでいたといわれており、多くの伝説が残されています。
どんと祭と春のお祭り準備。
開発のさかんな町にありながら、よくぞ残ってくれました。静けさはいまいちですが、町を守っている感じが、素敵です。
ここの境内に大欅がありました。昭和41年、この欅が火で焼損してしまいました。それで、伐採し片付けようとしたら、作業に使われた斧が次々と折れるという現象があり、作業にあたった職人二名が不幸にあったといわれています。この木材を購入した人にも不幸がさわり、ついに木材を社に納めたそうです。いまも、この木材が境内に残っています。
| 名前 |
伊豆佐比賣神社(志和彦神社・鹽竈神社攝社) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
022-255-6050 |
| HP |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020352 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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この場所には誰もいません、御朱印書置き300円は、熊野神社宮司様よりいただけます。駐車場としての区画は無いようなので入口付近のあぜ道に停めましたが県道へ出る時全然見えないので危険です。