安政の大地震が残した巨石。
大場の大転石の特徴
常願寺川の氾濫を感じられる歴史的な巨石がある場所です。
安政の大地震に由来する貴重な史跡が魅力的です。
左岸堤防の近くで大転石を間近に見ることができます。
2025.01.19巨石巡りをしました。安政の流石(西番の大転石)の後に寄りました。
重さ400tの巨石はどこから、どのように流れ着いたのか、想像を遥かに超える土石流があったと思慮される。川の勾配が急で平常時、水の流れる音からも想像がつく。
常願寺川が運んできた巨石「大転石」の一つです。
左岸堤防のすぐ横にあります。かなりの巨石ですね。江戸後期の安政年間に大洪水で流れてきたものとか❗
安政の大地震。
常願寺川の氾濫の様子が伺えます。近くには、いろんな形の水制もあります。
| 名前 |
大場の大転石 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
http://www.hrr.mlit.go.jp/tateyama/gakusyuu/tanken/daitenseki.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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安政5年(1858年)の飛越地震による大土石流で流されてきたと伝わる巨石が、富山市西番に残る「大場の大転石」である。直径6.6m、推定重量約400トンの花崗閃緑岩で、常願寺川の土手際に露出している。大場の大転石(おおばのだいてんせき)は、富山市西番に位置する巨大な転石で、標高約89mの常願寺川扇状地に立地する。名称の通り「大場」地区に存在する「大転石」であり、文化財指定はないものの、国土地理院の「自然災害伝承碑」データベースに登録されており、災害遺構として位置情報や地番(西番465番 外)が明記されている。この石は、安政5年(1858年)2月26日(新暦4月9日)に発生した飛越地震に伴う災害の痕跡とされる。震源とされるのは、現在国指定天然記念物となっている「真川の跡津川断層」で、地震によって大鳶山・小鳶山が大崩落し、真川上流が土砂でせき止められた。これにより、天然ダムが形成され、同年4月23日(新暦6月4日)と4月26日(新暦6月7日)に二度決壊した。その結果、常願寺川流域に大規模な土石流が発生し、多数の転石が扇状地上に運ばれたと記録されている。この転石は、特に6月7日の大洪水時に運ばれてきたものとされる。周辺の富山市西番や大場地区では、同規模の転石が40数個確認されており、直径は4〜7mに及ぶ。これらは立山砂防の災害記録や富山市の文化財資料でも「安政の流石」として紹介され、流域災害の象徴として位置付けられている。大場の大転石は、直径約6.6m、推定重量は約400トンに及ぶ。岩質は花崗閃緑岩で、丸みを帯びた形状を持つ。これは、立山黒部ジオパーク協会や国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所が公式に公表している数値に基づく。また、砂防事務所の教育資料や見学パンフレットにも、同様の規模と質量が記載されている。現在、大転石は河川敷の土手沿いにあり、周囲は畑や水田が広がっている。人為的な保存処置は特に施されていないが、転石は地表に露出したまま安定しており、周辺地域の地形形成史を物語る存在である。現地には災害を記憶するための碑や、関連する地名の表示が残されており、地域住民の中にはこれを語り継ぐ者もいるという。ただし、伝承や逸話に関しては明確な記録資料が現時点では確認されておらず、供養塔や記念碑の成立背景については市史料のさらなる裏付けが必要である。この石を含む地域の災害史を伝える拠点として、立山町の「立山カルデラ砂防博物館」では、大場の大転石を模した模型が展示されている。実物よりやや小ぶりながら、飛越地震の災害規模を視覚的に理解することができる。同館では、災害の成因や土砂移動のメカニズムを科学的に解説しており、大場の大転石の来歴とも密接に関係する。また、飛越地震後の治水対策として建設された常願寺川砂防施設群も重要である。特に、2009年に国の重要文化財に指定された「白岩堰堤」や、2017年指定の「本宮堰堤」「泥谷堰堤」などは、明治から昭和初期にかけて構築されたものであり、大場の大転石と同じく、安政災害を契機とした流域対策の成果である。まとめとして、大場の大転石は単なる自然石ではなく、近世末期の地震災害の痕跡を物理的に今に伝える重要なジオサイトである。その存在は、飛越地震という地震災害の記憶を風化させない力を持っており、地域の歴史・地質・治水を理解するうえで極めて貴重な実物資料である。