トンネル脇の歴史的神社。
抜鉾神社の特徴
トンネルの脇に位置する小さな神社で、整備が行き届いています。
経津主命を御祭神とし、歴史的な建築様式が魅力です。
幕股や飾りの様式には室町・桃山時代の影響が見られます。
たまたまトンネルの脇に石柱を見つけて道を通ったらありました!綺麗にされており、拝殿内の奉納額の絵が素晴らしい。
小さな神社ですがきちんと整備管理されております。ダム湖に面しているのでここから眺める湖面がきれいでした。
トンネルの入口出口の脇にある道からいけます。道幅は狭いですが神社の近くには車が数台とめられるほどの広さのスペースがあります。
御祭神 経津主命本殿の建築は古くはありませんが、中備えの幕股は室町時代の末、中心の飾りの様式は桃山時代以前、輪廓の肩の張り、脚の踏ん張り脚端は桃山時代の作といわれています。特にその内側の花頭曲線は室町風。本殿は未詳ですが、拝殿は正面軒唐破風兎の毛通しの裏に墨書銘があります。それによって上山和泉守が文政十一年(1828)に造立したことが知られています。(「神流湖ルートガイド」より)国道462号線(十石峠街道)の保美濃山トンネルを抜けて南に神流湖に張り出すように出ている方向へ向かった先端部分に抜鉾神社があります。県道沿いに立つ「神社参道」と書かれた石柱が黒く焼けているような石質であることや、途中にあるお地蔵さん、その先にある「水没之碑」、県道から離れた静かな環境などが、感覚の鋭敏な方には様々な印象を与えているようです。しっかりとした石垣の間にある石段の参道を登ると朱の鳥居があり「正一位抜鉾大明神」の額が架かっています。石段を登りきると境内左手に水盤があり、右手には社務所か宝物殿のような建物があります。その奥に更に石垣で一段高くなった境内に社殿が建っています。社殿右側に「抜鉾神社の石棒」という標識の杭が立った建物があります。建物内部には「石器時代住居跡」で見たような石の並びが保護されていました。拝殿上部には願いごとが成就したときに奉納したと思われる絵馬が複数ありました。絵柄としては江戸から明治にかけてのものでしょうか、お相撲の力士の取り組みの絵や、境内で花見か、何か奉納の行事を行っているような絵が描かれていました。本殿の壁面や、脇障子にも、まだ青色の鮮やかさが残った絵画や彫刻がありました。
名前 |
抜鉾神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0274-52-3776 |
住所 |
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評価 |
3.4 |
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まずまず管理が行き届いてるが、せめて由来書きは掲げて欲しい。一の宮が貫前に改名した今日、抜鉾神社は3社しか存在しないのだし。