村上城跡で梅まつり、歴史と風景を堪能。
村上城跡の特徴
村上城跡は平安末期から存在する山城の遺構です。
本丸は梅林となり、春の賑わいが楽しめる場所です。
空堀や土塁を確認でき、自分好みの角度で撮影可能です。
村上城跡は、栃木県市貝町にある高さ172.2mの観音山に築かれた山城・村上城の城跡で、栃木県の史跡に指定されています。古文書によると、1178年に平宗清が守る山城が落ちたとの記録があることなどから、もともとの築城年代は平安時代(794-1185)の末頃と考えられているそうです。その後1378年に、益子正宗の次男・村上新助良藤によって、城が現在の遺構のように整備されると、良藤、則光、光義と3代50年にわたりここを居城として過ごします。現在の遺構からは、東西約200m・南北約250mの規模のお城であることが分かります。観音山山頂の本丸は、東西約40m・南北約85mという不整三角形になっています。梅園が整備されています。主郭は土塁、空堀が廻らされ良く保存されている。主郭と同心円状に山腹に帯状曲輪を配し、東から北に更に曲輪を追加し、土塁、空堀で区切られている。空堀は堀底道となっている。
村上氏居城。村上観音山(172m)の山頂から山腹に築かれた山城。城の南側、永徳寺下の駐車場から本丸まで約5分程度。本丸は東西40m、南北85mの南北に細長い三角形状で、平坦ではなく南側にやや傾斜して今は梅林で下草も伐採していた。北に祠、周囲に土塁空堀をもうけている。大きな村上城の看板あるので遠くからもわかりますね。
中世の山城跡ですが、とても良い状態で残っています。空堀が、本丸の周りを回っていて、堀底を歩いて見学できます。綺麗に整備されていますので、ほとんど全ての堀底を歩けます。本丸や周りの郭には、梅の木が植えてあり、梅の季節には観梅を楽しめます。
春の村上城址には、五社神社、寿命院永徳寺、寿命院や観音山展望台や観音山の梅園と、春の賑わいが素敵だった。新型コロナ対策で梅祭りは中止で通行するだけの花見だったが、散策して周り、駐車場に戻る頃にはプチ観光した気分で楽しかった。第一駐車場から千手観音のお堂が近いが、自販機が第二駐車場にしかなかったため、第二駐車場から行く場合は、トイレと飲み物の確保は済ませて上を目指す事をお薦めします。
次は梅祭りの時期に 御朱印を頂きに行こうと思っています 市貝町観光協会のホームページにて。
本丸は梅園になっており神社をたどればさらに先に本丸があります。空堀が周囲に残っており景色もいいですよ。車は第一駐車場へ止めれば楽です。第二は下から登ることになりますから。
山城らしいつくりで、空堀、土塁などを確認できました。山頂までいくにはそれなりの装備がないと虫などに噛まれると思います。駐車場から歩いて10分くらいでいけます。1378年村上新助良藤によって築かれたと云われる。 村上氏は益子氏の一族で、良藤が築城したのち村上丹波守則光、村上丹波守光義と三代にわたる居城であったと伝えられる。村上城は桜川東岸の標高172.2mの観音山山頂に築かれている。村上城は千本城主千本氏との所領の境にあるため、居城というよりは境目の城の位置付けが強いようで、山頂にある本丸もそれほどきちんと削平されているわけではない。本丸を取り巻く土塁は北端の部分が幅広で櫓台とみられ、南にある大手口は折れを設けて横矢を掛ける構造になっている。土塁の外側は横堀になっており、北から東側はその外側に腰曲輪状のやや平坦な曲輪が二段取り巻き、外側に土塁を設けている。
それほど 規模か大きくない城跡ではあるが、昔を偲ばせる遺構が残っている。又裾野に観音山梅林が広がっており、2月27日現在2分咲き~7分咲きの紅梅、白梅が見られました。それほど広くないけど十分楽しめました。
梅まつり限定の御城印頂けるとのことで訪れました。
名前 |
村上城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.tochigi-edu.ed.jp/center/bunkazai/bunkazai/list/954.htm |
評価 |
4.0 |
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記録に文治3(1187)年の記載があることから平安末期頃には城はあったと考えられる。標高172.2mの観音山上にあって、永和4(1378)年、益子正宗の次男・村上新助良藤が修復して居城とあし、その子則光・光義と三代50年にわたって支配しました。しかし、益子氏の滅亡した天正17(1589)年頃に廃城となったとされます。現在は、「観音山梅の里」として、本丸を中心に梅林が広がります。(2023.5記)