勝道上人の仮住まいが息づく。
普門寺の特徴
勝道上人が母のために建てた仮の住まいの場所です。
明寿山普門寺は歴史的な意義を持つ寺院です。
母明寿尼との深い関係が感じられる場所です。
明寿山普門寺は、勝道上人が母「明寿尼」のために建てた仮の住まいがあった場所と伝えられる。引用:今市史談山号 圓通山院号 明寿院寺号 普門寺宗派 曹洞禅宗 (大本山 福井永平寺 鶴見総持寺)中興開山 無州本律禅師 弘治元年(1555)改宗本尊 釈迦如来 脇侍 文殊菩薩 普賢菩薩圓通山明寿院普門寺(えんつうざん みょうじゅいん ふもんじ)と号し、その開創は今から1200余年前、日光開山の祖、勝道上人(735-817)の代に遡ります。日光山を極めんと意を決した上人は、この地で昼夜にわたり厳しい修業をしたと言われています。現在でもその名残をとどめている地名として、・行川(なめがわ) 水行をした川・見行地(けんぎょうち) 村人が行を見ていた場所・僧が入り(そうがいり) 僧が入って修行した場所・三部沢(さんぶさわ) 三部経を詠んだといわれる沢などが残っています。上人は芳賀(現在の真岡市)の産にして、日夜厳行に明け暮れる上人の身を案ずる母「明寿尼」は我が子を慕いつつ後を追い、この地に一庵を建てたと言われています。輪王寺古文書によれば、日光山開山ののち宝亀6年(775)、上人によりその場所に普門寺が建立されたと伝えられています。この上人の功績を偲び、鹿沼瑞光寺六世務州本律禅師によって弘治元年(1555)、普門寺が曹洞禅宗として中興開山されるに至りました。現本堂は寛政年間の火災焼失後、享和2年(1802)に再興され、間口九軒、奥行八軒の大きさを誇ります。本尊釈迦三尊像を安置し、俗に八尺間と呼ばれる廊下、土間を配した禅宗様式の伽藍となっています。また、内陣欄間には質素を旨とする禅宗には稀な彩色を施した彫刻が収まり、当時御神領であった東照宮の影響を強く受けたものと思われます。本寺に鹿沼市玉田瑞光寺、末寺に塩谷町大宮寶福寺があります。引用:ご住職に頂戴した「普門寺開創由来」より。ありがとうございました。
| 名前 |
普門寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0288-27-0916 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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お参りして朱印をいただこうと思って庫裏を訪ねたところ、思いっきり不審者扱いされた。何者かわからない人間に対しいぶかしがる心理は分からなくないけど、それを直接、顔や言葉で表に出してしまうのは本当に良くないと思う。お寺という場所が場所なだけに、ずさんな接遇から響くものは余計に大きい。対応として評価に値しないと思う。