圧巻の1000年蘇鉄、能満寺。
能満寺の特徴
日本三大蘇鉄の一つ能満寺の蘇鉄は圧巻の樹齢1000年です。
遠州臨済三名寺能満寺は歴史深い1262年創建の寺院です。
小山城の隣に位置し、境内には見どころが凝縮されています。
臨済宗妙心派のお寺で、遠州臨済三名寺で本尊は虚空蔵菩薩。行基が三体の虚空蔵菩薩の一つを安置したのが始まりで鎌倉時には勅願寺、管寺になっていた。大井川の氾濫により流失しているが、後には武田信玄が再興しており江戸時代には徳川家康の屁護も受けていたそうです。有名なのが、本堂に追い被さる様に巨大なソテツ[蘇鉄]、日本三大ソテツがあり樹齢は約1,000 年 高さ6 m 主幹の根周り5m 枝数約90 枚で国の天然記念物に指定されています。とても綺麗に整備されており、案内板なども見やすく心落ち着く能満寺です。
吉田町の小山城がある能満寺山公園の麓にあって、行基 が三体の虚空蔵菩薩のうちの一つを安置したのが始まりであるとされる能満寺。大ソテツで有名な名刹であるが、家康の庇護も受け、境内には立派な鐘楼もある。駐車は無料の吉田町営駐車場(道路隔てた南側、売店・トイレもある)へ。
小山城の隣にあるお寺。こじんまりしている。ソテツが沢山生えている。
小山城跡に訪問の際、経路案内に従い進んでいくとこちらの境内を通り抜ける形でした。植樹の緑が濃く、巨大なソテツの案内を見るに相当に歴史あるお寺とお見受けしました。お寺の北西側に小山城跡に繋がる2本の坂「男坂」「女坂」があります。
初めて来たのでゆっくり能満寺色々見て回りました😃階段の急斜面実際見てこれかw😅て成りました。
復刻版〜のうまんじ文集が出版されましまた、太平洋戦争中に東京から能満寺へ集団疎開され、青森県弘前に再疎開されるまでの、十ヶ月間の思いでを書かれた文集です。
龍潭寺(浜松市)・貞永寺(掛川市)ととともに遠州臨済三名刹のひとつに数えられる、臨済宗妙心寺派の寺院です。奈良時代に行基が虚空蔵菩薩像を刻んで満願堂として開創したとされてはいますが、確かな史料はありません。実質的には鎌倉時代の1262年に亀山天皇の勅願寺として開創されました。本堂前には国の天然記念物に指定されている、樹齢千年の大ソテツ(根回り4.5m、高さ6m)があります。これは「日本三大ソテツ」のひとつと言われ、平安時代の陰陽師 安倍晴明が植えたとされています。江戸時代には広く知られ、参勤交代で東海道を往来する諸国の大名たちもわざわざ見物に訪れたとの記録があります。
親戚の叔父さんの一周忌の為寄りました。蘇轍が有名ですよ🤓もう千年前から有るそうです。
安倍晴明が植え、徳川家康が気に入り一度は駿府城に持ち帰ったとされる蘇鉄で有名。今回私は日没時間に小山城に登城した為に住職がいらっしゃると思われるこちらを避けて登ったのだが完全に日が暮れた下城時にも沢山の散歩の方がこちらにズカズカ入って行った。地元の方は気にしないのか?とビックリ。
名前 |
能満寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0548-32-1555 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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日本三大蘇鉄の一つに数えられる「能満寺の蘇鉄」で知られる寺院です。蘇鉄に関しては安倍晴明お手植えだとか、徳川家康が蘇鉄を気に入り駿府城に移植したところ、夜毎に「いのう(帰りたい)…いのう」と泣くようになったので能満寺に戻しただとか、いくつかの逸話が伝えられているものの、大井川の氾濫により諸堂が流失した後、武田信玄によって再建を果たすまでの経緯は、寺伝が散逸しているのか詳らかではありません。武田氏の遠江進出の拠点であった小山城のまさにおひざ元にありながら、武田氏滅亡の後は徳川氏とも良好な関係を保ち、江戸時代には蘇鉄の名所として東海道を行き交う人々に知られるようになります。境内の至る所に蘇鉄が植えられていて、庭園もよくよく手入れされているものの、肝心の樹齢一〇〇〇年の蘇鉄は、本堂と本堂を囲む壁の間に押し込められていていささか窮屈に見えます。鉄道駅からは離れているものの、JR東海道線の島田駅ないしは藤枝駅からのバスがそこそこの頻度で運行されています。周辺の観光名所としては、小山城址(史実ガン無視の模擬天守に辟易させられるものの、三重掘が見事)、島田駅からの徒歩圏内には蓬莱橋(日本最長の木造歩道橋)があります。能満寺のある吉田町は鰻の産地でもあり、美味しい鰻屋さんがいくつかあるそうです。