福島の美味、仕事の楽しみ!
十二御前の特徴
十二御前は薄葉ヶ原合戦に深く関わる史跡です。
山田城城主の山田筑後守業辰が討死した地として有名です。
営業時間は短いが訪れる価値があるスポットです。
十二御前天正13年3月25日、いわゆる薄葉ヶ原合戦があり、塩谷伯耆守義孝に従軍した山田城城主山田筑後守業辰はこの戦いで討死。業辰の正室、菊の前は11人の侍女たちと共に、家臣山田新左衛門の助けを受け落ち延びるも、新左衛門は追手にただ一人で立ち向かい壮絶な最期を遂げた。菊の前一行は、かつて城主や家臣達と共に、春は桜、秋はもみじを楽しんだ「花見どや」の近くまで辿り着いたものの、ここで観念し、一同箒川の淵に身を投げ、哀しく自害したと伝えられている。近隣の関根の人々は、菊の前一同を憐れみ、毎年供養を行なっていたようですが、関根が廃村になるとともに、その記憶が失われてしまいました。今では史跡、供養塔など一切残っておらず、正確な場所は今では不明のようです。なお、菊の前一同が哀れな最期を遂げたのが、十二夜であったとされていることから、十二夜御前と呼び、毎年旧正月12日に供養を行なっていたとされています。
営業時間は短いけど行く価値ありの美味さ、ま、福島はどこでも美味しいけど、宮城県には美味しいと思うラーメン屋がないので、仕事で福島に行くのが楽しみ‼️
名前 |
十二御前 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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矢板市山田の字名として十二御前が残るのみです。伝承で山田城の陥落から逃れた御前たちが崖から飛び降りたとある通り、箒川の右岸は火山活動由来の高い段丘になっています。草木が生い茂り立ち入ることは難しいですが、場所的には非常に見晴らしが良さそうです。碑や供養塔などが藪の中に埋もれているのでしょうか。