鳥坂城跡で見渡す絶景。
鳥坂城跡の特徴
標高347メートルの堅固な山城鳥坂城跡の魅力を体感できる場所です。
数々の曲輪や堀切など、見応えのある遺構が残されています。
森林公園から徒歩15分のアクセスで、絶景を楽しめます。
10月末の雨降りの後で登城。車でキャンプ場を突っ切って、第3駐車場から北に林道を進むと広い舗装の駐車場に着きます。そこからは遊歩道が整備されていますが、本丸と他の郭を隔てる堀切はかなり急勾配の階段を昇降する必要があります。中世山城の代表的な防御施設(堀切、竪堀、土塁、虎口)がかなり良好な状態で残っており、今回のお城巡りでは一番印象に残りました。特に階段状竪堀は必見です。なお、近くで熊が出没しているみたいなので、熊鈴等は必須かと思います。
畝状竪堀群や階段状竪堀などの珍しい遺構が良く残っている。井戸の側壁は石組みされていて山側側壁からは湧水が確認できた。本丸からは高田平野と日本海の眺めが素晴らしい。
現地パンフレットより平安末~鎌倉初にかけて城氏の居城と信じられてきたが戦国期の特徴を有し城氏とは関係ないと認識されてきた。文献にある冨坂は鳥坂のことではないかといわれ、当初景虎方の城が御館の乱後、景勝が片桐善左衛門に与え改修したと考えられるとのこと。城域北西側の584号線から高床山森林公園キャンプ場へ。キャンプ場道路に城案内板あり城標識通り北側に進むと広い駐車場があり城入口にパンフレットあります。駐車場の城入口から狼煙台、南ノ曲輪、尾根両面に見える畝上堀切群を過ぎると眺めのいい主郭、二ノ曲輪、虎口、二ノ曲輪東下部の曲輪、さらに二ノ曲輪北西側下部井戸跡と隣に除草された畝上堀切群がはっきり確認できます。鳥坂城跡保存会さんが城域の標識、除草などの保存活動をしていただいてゆようで心地よく散策させていただきました。駐車場から主郭まで約25分でした。
2024年11月訪問。森林公園キャンプ場の近くになります。道は細く急坂なので対向車に注意してください。見どころは大堀切と畝状竪堀群になります。眼下に北国街道と飯山街道が通る交通の要衝に築かれており、御館の乱では景勝方が奪取。景虎方の動向を牽制しています。登城口から尾根伝いに進み、堀切の底から三の曲輪→二の曲輪→本丸、帰る途中で南の曲輪を見学。所要時間は1時間ほど。本丸までなら駐車場から片道10~15分くらいかと思います。本丸からは眺めがよく、上越の市街地が良く見えました。
鳥坂城(とっさか)、大変眺めよくハイキングにはちょうど良きところであった!
鳥坂城は知名度こそないが素晴らしい山城である。標高347mの鳥坂山の山頂付近の尾根沿いに展開した山城であり、麓からの比高は200m程度あるが、高床山森林公園まで車で登ることができ、そこから行くのがほとんど登りもなく便利である。ただし、森林公園から15分程度は必要である。鳥坂城は尾根沿いに郭が並んだ典型的な連郭式山城なのだが、特筆すべきは技巧を凝らした防御遺構の数々である。城域に入った最初の郭から堀切から横堀に変化させた複雑な堀があり、土塁や土橋と組み合わされる。さらに進むと本丸手前に高低差のある畝状阻塁があらわれる。畝状阻塁の両サイドには畝状竪堀が掘られこの畝状竪堀は残存状態も良く高いところだと3m程度ある。さらに部分的にこの竪堀は階段状になっている他ではあまり見ない階段状竪堀である。大きな堀切を隔てて本丸があり、本丸には城址碑が立つ。本丸からの眺望もとても良く高所であるため日本海まで見渡せる。本丸の先にも郭が続き先端の発電所送電線まで続く。本丸東側下部には枡形虎口や土塁などの技巧が凝らされた2郭、3郭がある。本丸西側下部には水の手である井戸があり、いまだ水をたたえている。このように防御遺構てんこ盛りの鳥坂城は山城好きにはたまらないのではないかと思う。期待以上で感動すら覚えた。山城を巡っていると時々とんでもなく素晴らしいマイナーな城に当たる時があり、これこそが醍醐味だと感じる。鳥坂城は規模、技巧ともにすぐれており信濃に向かう街道沿いの重要な拠点だったと考えられる。春日山城の有力な支城であったと考えられるが、御館の乱時には景虎側の城であったという。現在の遺構はおそらく戦国後期のものであろう。
数々の曲輪や堀切をはじめとする遺構が残る見応えの有る城跡。
鳥坂城跡は別名「鶏冠(とさか)城」ともいい、標高347メートルの堅固な山城です。この場所は飯山街道と善光寺(北国)街道が別れる分岐点であり、16世紀半ばから後半の戦国時代に築城されたと考えられます。武田信玄の北信濃侵攻(天文22年(1553)から永禄11年(1568)迄)に備えて上杉謙信が拠点の山城としてこの鳥坂城を整備しました。この時の城代は桃井左京という侍大将が務めてたと思われます。同城跡南東部麓にある妙高市上堀之内の浄土真宗本願寺派の菓城寺(同寺院は元亀2年(1571)に開基)境内に城代(もしくは土豪)の居館だといわれてます。(諸説あり)天正6年(1578)5月から行われた上杉謙信死後の後継者争いである「御館の乱」では当初上杉景虎方でしたが、上杉景勝方が奪回しました。景勝時代の城代は片桐善左衛門といわれてます。天正10年(1582)5月下旬、織田信長家臣で海津城(長野原長野市)主・森長可が越後国に侵入し、関山権現(妙高市の関山神社)を焼き払い上越市中郷区二本木に陣を置いたことから、上杉景勝時代も信越国境を守る鳥坂城は機能していたと考えられます。遺構は箱薬研堀や畝形竪堀といった複雑な作りになっており、16世紀末期まで機能していたと考えられます。本郭までいく途中に女性武者の祠がありますが、地元の方が昭和12年(1937)に寝ている間に女性武者の夢をみて建立されました。(なお、入口付近には鎌倉時代初期に平家一門の越後城氏と坂額御前が妙高市の鳥坂城跡で戦ったという掲示板がありますが、越後城氏と坂板御前が戦ったのは胎内市の鳥坂城なので、現在は否定されてます。)
森林公園の砂利道抜けた先のNo4駐車場が最寄りと思います。のろし場を過ぎると本丸への分岐あり、尾根沿いの曲輪を通るか、脇の登城路かに分かれます。尾根沿いを進むと2個目?の曲輪に堀切、土塁があります。南側に喰い違いの虎口があり、大規模な土塁、空堀が先ほどの堀切まで続いていました。浅い堀切と曲輪を過ぎると、深い、浅い連続、深いという順で堀切が連続してあり、本丸に至ります。この南側斜面には畝状竪堀があり、城跡一番の見所かと思われます。本丸からは上越平野、直江津方面が一望できます。本丸から一段降ると曲輪と虎口があり、その先に分岐の登城路に繋がります。北東にもう少し有りそうでしたが、ヤブ化していて引き返しました。
| 名前 |
鳥坂城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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この山城跡は山の尾根に本丸や二ノ丸曲輪堀切などが有りますここに行くには森林公園を目指して行くと分かりやすいです。