江戸末期の浪士たちの足跡。
天狗党の墓の特徴
天狗党の墓は、1864年に起こった天狗党の乱に関連する史跡です。
田中愿蔵が率いた浪人たちの墓が点在し、歴史の重みを感じられます。
江戸時代末期の過激派浪士たちの足跡を辿ることができる貴重な場所です。
棚倉町まで行ったのに見逃してしまった場所なんです 雪が溶けたら訪問したいな。
お盆の時期という事もあり、お花とお酒が供えてありました。ちゃんと管理してくれている人がいるのですね。場所は道沿いに、『天狗党の墓』の木製の看板が立っていて、その奥(畦道なので車は道沿いに停める)に歩いて行くと、他のお墓(多分地元の方)と同じ場所にひっそりと佇んでいました。
❶【参考 天狗党の墓 日本刑事史跡散歩】中隊長 田中愿蔵(たなかげんぞう)たち一隊は、天狗党の中で別行動をとっていた。一隊は独立行動をとり、栃木の宿で豪商に軍資金を強要し、拒否されると強奪、放火を繰り返し、天狗党のイメージを悪くし、憎悪の的となっていった。幕府軍や水戸藩等と交戦しながら、敗走の末、田中愿蔵(たなかげんぞう)一人、此処、棚倉まで逃げたが、捕らえられて斬罪となっている。享年20歳。同墓地には昭和4年に立てられた碑がある。「弔元治甲子殉難諸君之霊 堀越惣介、鈴木主税、越惣太郎、藤田由之助、荒井一司、興野武彦、蔀幼君外17名、元治元年(1864年)10月中、棚倉藩、松平周防守の為に斬首さる。昭和4年3月26日建立」と刻まれている。
ほんの150年ほど前に、このようなことがあったのをキチンと伝えていくべきでしょうね。
期待しすぎた分だけ実物との落差に打ちひしがれてしまいました。
江戸時代末期の元治元(1864)年、水戸藩過激派浪士は、尊王攘夷の旗を掲げて筑波山に挙兵(天狗党の乱)しました。しかし、天狗党は分裂により弱体化し八溝山において再決起を図りましたが、党員20名は棚倉藩兵に囚われてしまい斬刑に処せられ、その御魂がこの墓に眠っています。当時の棚倉藩主・松平周防守康英が処刑地に供養碑『三界万霊塔』を建立し、この地を天狗平と呼び、未だに浪士の末路の悲惨を物語っています。専用の駐車場はありませんので、路肩の空きスペースに駐車しました。
天狗党の一派、田中愿蔵が率いた浪人の墓。
| 名前 |
天狗党の墓 |
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| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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駐車場はないので、車は路肩に置いて、細いあぜ道を行くと、お墓がありました。