いわき市最古の二俣神社。
二俣神社の特徴
いわき市内で最も古い神社として知られる古社です。
夏井川近くに立つ二股の大木由来の歴史があります。
小川郷駅から約1時間半の距離に位置しています。
子鍬倉神社で、こちらの御朱印があることが分かり、調べて訪れました。周りを自然に囲まれていて、普段からあまり人が訪れてる感じが無さそうでしたが、また一つ新しい神社に訪れる事ができて良かったです。
いわき最古の神社だそうです。とても神秘的で是非1度参拝されてみてはいかがでしょうか。感動します。
八幡神社の一種で、元々は夏井川の近くに立つ二股の大木の下にあったのを洪水に会いやすいので天和2年にこの地に移したそうです。祭りの日(9月14,15日)に行う獅子舞ではその年に下小川に婿に来た者に獅子頭を被らせる習わしがあったらしいです。
福島県小川町下小川に鎮座する二俣神社です。御祭神は品蛇和気命。創建に関する由緒等は不明ですが、貞観元年(860)に勧請されたと伝えられる古社です。延喜式神名帳には磐城郡七座の一座として小社に列したそう。有り難く、”二俣神社”の御朱印を頂きました。(子鍬倉神社にて書置きを拝受)
2021.05.29いわき市内の神社でもっとも古いらしい。
とても気持ちの良い参道を歩いていくと、市内では少し大きめの愛嬌にあふれた狛犬さんがいます。
磐城七社の一つだそうです。境内を近所の人が綺麗に掃き清めていました。
小川町にある神社。正面からは小川江筋の用水路を渡って入ります。しっかりと手入れされていました。夏井川を臨む高台にある場所は、水害に悩んだであろう昔に思いをめぐらすことができます。御朱印は子鍬倉神社(こくわくらじんじゃ)でいただくことができます。以下、社頭掲示板(1)当社は二俣川(夏井川)の川上八幡宮と称し、延喜式神名帳に記載される二俣神社である。(2)正徳2年小川入道義綱公、社殿を再建し、田反町四町八反歩を寄進し社領とする。(3)天和2年9月13日当社、年々水害に遭うため、領主内藤左京大夫義泰公が二俣岡(現在地)に社殿を造営。(4)元禄11年内藤能登守義泰は社領・社殿を修補し、その後代々の領主崇敬厚く、造営修補は勿論のこと、御供米として米一石二斗、祈祷料金七両宛、毎年領主より賜る。(5)弘化2年井上河内守正春公は封を転じられ(所替)以来祈祷料は無くなったが、御供米は明治御維新まで賜られた。(6)明治に至り社格郷社に列せられ、延喜式内二俣神社と称し今次大戦終焉後、社格廃止により郷社の称号が無くなった。昭和56年12月13日二俣神社遷宮300年記念事業実行委員会宮司 上平孝秀 謹書。
小川郷駅から1時間半ほど歩いたところにあります。田畑と水路を挟んで少し階段を上がったところ、回りを木に囲まれたジブリ映画のような神秘的な参道を通ると本殿が静かに鎮座しています。本当に静で回りも不思議な空間にあるので最古の神社と言われるだけあるなと感動しました。御朱印は子鍬倉神社(いわき市平)で戴けます。
| 名前 |
二俣神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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二俣神社(ふたまたじんじゃ)。福島県いわき市小川町下小川梅ノ作。式内社(小)、旧郷社。【祭神】品陀和気命資料によると、通称は二俣八幡宮。創祀年代は不詳だが、社伝によると貞観二年(860)の勧請。ただし、貞観二年は山城国石清水八幡宮の勧請年なので、旧来の二俣神社に、のちに八幡神が勧請された時、石清水八幡宮の勧請年を伝えたものかもしれない。もとは二俣川(夏井川)左岸に鎮座し、川上八幡宮と称していたが、たびたびの水害のため、天和二年九月、領主内藤左京太夫義泰によって現在地に遷座。旧社地は、現在地の北西1Kmほどの広畑のあたりで、『磐城郡村誌』によると、鳥居基礎が残っているらしい。中世には一度廃絶しており、領主内藤義概の時に探索・考証を経て、京都吉田家の許可を得て式内社・二俣神社に比定されたようだ。あるいは、天和の頃、二森明神と呼ばれていた当社が式内社・二俣神社に比定されたとの伝承もある。別当は来泉寺。熊野参詣の先達だったようで修験者の寺。当社も修験道に関連のある神社で、一説には、二ツ箭山を神体山とし、小川町上小川字植ノ内の二屋神社を二ツ箭山の拝殿、当社を里宮とする伝承もあるらしい。祭神は、八幡神である品陀和氣命。ただし、八幡神は後の勧請と考えられており、本来の祭神は二俣の社号から、岐神(くなとのかみ)や八衢比古(やちまたひこ)、八衢比賣とも考えられている(道を守る神。八衢比古、八衢比売・久那土の三神を道祖神とする説がある)。明治六年郷社に列格した。とあります。