弥勒菩薩の癒し、花咲く境内。
弥勒山 弥勒院の特徴
山形県の古刹寺院、弥勒山弥勒院で心が満たされる体験を。
出羽の国十三仏霊場の六番札所、信仰の場として歴史があります。
美しい花が咲く境内、手入れが行き届いた景観が魅力です。
R7.7.8参拝 山形十三物霊場 6番、御朱印拝受。
山形十三仏霊場 六番 真言宗智山派 弥勒菩薩。
山形十三仏御開帳でお参りさせていただきました。本堂内の金剛力士像が間近で見れて迫力がありました。
山形県西村山郡河北町谷地庚に境内を構える、弥勒山 弥勒院、山形県でも古刹寺院で構成される出羽の国十三仏の一寺で最近では山形十三仏の一つでも在ります、2024.6に出羽の国十三仏参拝にて訪れました、境内が花が綺麗で管理の行き届いた素晴らしい寺院で気持ちが満たされました、機会が有ればまた参拝したいと想いました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は弥勒山、院号は弥勒院、宗旨 宗派は真言宗 智山派、ご本尊は弥勒菩薩、出羽の国十三仏霊場、第六番札所、弥勒菩薩、山形十三仏霊場、第六番札所、弥勒菩薩、当院より西方約300メートルにある弥勒堂は弥勒寺発祥の地と考えられる。古文書によれば養老年間(700年代初期) 婆羅門僧正が三国伝来の弥勒菩薩(総高十センチ程で現在弥勒院秘仏として保存)を本尊として開山したといわれる。現在のお堂は寛保三年(1734年)に再建されたもので現在地区鎮守様として地区民に信仰されている。鎌倉時代、弥勒堂の別当として朝印坊という庵があったが、この庵に源義経の忠臣継信の子義忠が母とともに身を寄せ、母没後の建久年間(1190~1198) 父継信、叔父忠信、母尼王の3人の霊を弔い供養塔を建立しこの地を去ったという。これが弥勒堂の近くに祀られる三篋塔である。江戸時代に入り当地は新庄藩の所領となるが朝印坊宥朝代に藩主の帰依を受けて谷地本町に長慶寺を創建した。元禄16年(1703年) 長慶寺末寺として朝印坊に変わって現在地に弥勒院を創建 弥勒堂並びに三篋塔の別当寺院としたが文化年間(1800年代初期)に火災に遭い殆どの書類等も焼失している。この時の火災が弥勒寺、弥勒院の由諸、三篋塔を確証する手がかりを失ったと考えられる。現在の弥勒院は文政年間に再建され現在に至る。歴史的建造物、仏閣、仏像、城、神社巡り、パワースポット、絶景、紅葉、景色撮影、癒し処、山形県寒河江市、西村山郡河北町観光、温泉、十三仏参拝、三十三観音巡礼、諸願成就祈願、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
山形13仏霊場の札所です🌹住職さんも優しいです🛖🙏
山形十三仏霊場 六番札所 真言宗智山派 弥勒菩薩。
| 名前 |
弥勒山 弥勒院 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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弥勒山弥勒院といい真言宗智山派のお寺で御本尊は大日如来になります。養老年間(717年~724年)の七百年代初期に婆羅門僧正が三国伝来の弥勒菩薩(像高約十センチメートル程で現在の弥勒院秘仏として保存)を御本尊として開山したといわれる、現在の「弥勒堂」は寛保三年(1734年)に再建されたもので約三百メートル程離れています。鎌倉時代に弥勒堂の別当職として朝印坊という庵があったという、この庵に源義経公の忠臣佐藤継信の子佐藤義忠が母とともに身を寄せて、母の没後の建久年間(1190年~1198年)に父継信・叔父忠信・母尼王の三人の霊を弔い供養塔を建立してこの地を去ったというこれが弥勒堂の近くに祀られる三篋塔である。江戸時代に入り当地は新庄藩の所領となるが朝印坊宥朝時代に藩主の帰依を受けて谷地本町に長慶寺を創建した。元禄十六年(1703年)に長慶寺の末寺として、朝日坊に変わって現在地に弥勒院を創建した、この時弥勒堂並びに三篋塔の別当寺院となったが文化年間(1800年代初期)に火災に遭い殆んどの記録なども焼失している。この時の火災により弥勒寺・弥勒院の由緒・三篋塔を確証する手がかりを失ったと考えられている。