早百合姫の墓が見守る小綺麗なお寺。
長光寺の特徴
佐々成政の愛妾、早百合姫の墓があるお寺です。
小綺麗な境内が魅力の歴史あるスポットです。
歴史を感じられる静かな雰囲気が漂っています。
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とても小綺麗なお寺。
この場所は長光寺ではありません。
名前 |
長光寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
076-431-0265 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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このお寺には佐々成政の愛妾・早百合姫の墓と伝えられるものがあります。早百合姫をめぐっては、巷間、世にも恐ろしい話が伝えられていて、佐々成政に不義密通の濡れ衣を着せられて「磯部の一本榎」に逆さ吊りにされ鮟鱇斬にされたというのです。いくらなんでも鮟鱇斬は後世の創作だろうと思いますが、因縁の「磯部の一本榎」は昭和20年8月2日未明の富山大空襲までは現存しており、それをあしらった絵葉書なども販売されていました(富山市郷土博物館へ行けば見ることができます)。また泉鏡花の「蛇くひ」でも「磯部の一本榎」のことが書かれていて――「傍に一本、榎を植ゆ、年經る大樹鬱蒼と繁茂りて、晝も梟の威を扶けて鴉に塒を貸さず、夜陰人靜まりて一陣の風枝を拂へば、愁然たる聲ありておうおうと唸くが如し」。そんな悲劇のヒロイン・早百合姫の素性をめぐっては諸説あるものの、五福の豪農・奥野与衛門の娘だったというのが最も有力で、早百合姫の墓がその五福の長光寺にあるということには高い必然性があります。ただし、実際に長光寺にあるのは早百合姫の墓ではなく、奥野家の墓。墓碑銘として記されているのも「南無阿弥陀仏」の六字の名号と「先祖代々之墓」だけで、どこにも早百合姫の名はありません。しかし長光寺では平成19年に『長光寺誌』(長光寺誌刊行委員会)という瀟洒なデザインの小冊子を刊行しており、その「長光寺のおいたち」でもこの奥野家の墓を「早百合がまつられているという墓」として紹介しています。確かにもし本当に早百合姫が奥野与衛門の娘だったのならこの奥野家代々の墓に早百合姫が眠っているのは間違いないとは言えるでしょう。私がこのお寺にお参りして早百合姫の墓前に一輪の白百合を手向けたのはもう5年前のことになりますが、あれからいろんなことがあって、今またこうしてこのお寺のことや早百合姫のことに思いを致している……。