平将門公ゆかりの十九首塚。
十九首塚史跡公園の特徴
掛川の歴史を感じる、平将門公ゆかりの史跡です。
自分の理解を試せる、考察好きにはたまらない場所です。
藤原秀郷による討伐の歴史が息づく特別なスポットです。
旧東海道から血洗川に沿って100m ほど北にあります。西暦940年 平将門は、平貞盛や藤原秀郷に討たれた(天慶の乱)。藤原秀郷は、平将門と家臣(将門含め19人)の首級を持って京に上る途中この地に来ました。同時に京から検視の勅使が派遣され、この地の小川(現在の血洗川)で首を洗い、橋に架け 検視を行いました。首実検の後、この地で埋葬したそうです。十九首町(じゅうくしゅまち)という地名は今でも この地の住所名となっています。地元では「じゅうくしょまち)」と呼ぶ事もあるようです。もう1つ! 「この地で首を洗い 橋に『架け』検視」したので この地は『かけがわ(掛川)』という地名になったという話もあります(諸説あり)。
所在地 掛川市大池十九首訪問日 2025/5/21掛川市十九首地区の公民館裏にある公園で、平将門とその一門19名を祀る塚があります。この地に残る首塚伝説は、天慶2年(939年)の平将門の乱が発端で、一族内での抗争を経て関東の地で常陸(ひたち)•下野(しもつけ)•上野(こうづけ)の国府を攻め落とし、新王と称して京の朝廷に対立する新政権を打ち立てたが、朝廷軍によって鎮圧された。平将門は討伐後、その首級(しるし)は京に運ばれ洛中において獄門となったという。平将門には怨霊や怪奇譚が多く残り、京都において獄門に晒された首級が胴を求めて飛び立って、力尽きて落下した場所とされる首塚が全国各地に残る。最も有名なところでは、東京の大手町の「将門塚」がある。掛川市の十九首塚に残る伝説は、平将門の首級を京に運ぼうとした「藤原秀郷」が、下向してきた朝廷の使者と掛川で出会い使者から首級を打ち捨てるよう指示された。朝敵とは言え武人の首級を粗末に扱う事を偲び難く思った秀郷は、将門と18人の武士の首を手厚く埋葬したという。古くは、19基の塚が点在していたといいますか、時代とともに姿を消し将門の五輪塔だけが十九首公民館の裏に永く祀られていた様です。近年、公民館裏に史跡公園が整備され将門の五輪塔を囲むようにして18基の首塚が建立されました。
日本三大怨霊の一人に数えられる平将門と家臣十九人の首塚がある史跡公園。この地で首を洗い、首実験を受け、埋葬されたとある。
平将門の首塚は静岡にもある。掛川市の名前の由来が川に首を掛けて検分したからとあるので、なんらかの歴史は絡んでいたのだと思われます。個人の見解ですが、この首は東からではなく、京都から持ち込まれたものでは?それなら時系列的にも、六条河原で晒し首になった後、運ばれたと納得がゆきます。ここに本当に将門の首があるかは分かりませんが、当時の武者たちの魂を、地元の人たちがお彼岸、命日には供養をし、花をかかさず供えてくれていることに感謝。
平将門と十九人の従者の首を持って上京組と京都から下向してきた検視者が落ち合ったのが現在の十九首塚。ここで首を洗った川を血洗川といい、橋に首を並べて検視したそうです。現在は住宅地の中にあり首塚は墓地ですので伺う際は気をつけてください。
かの平将門公ゆかりの史跡。将門伝説として将門公の家臣の首塚とのこと。関東で起こった将門の乱が朝廷軍に鎮圧され、将門公の首が獲られ、京でさらされた後に首が東へ飛んでいったと言う伝説もあるのでここ掛川の地にゆかりの史跡があるのは楽しいですね。
予てから興味のあった、掛川の名前に由来する場所に伺いました。国道415号線(日坂八坂線)から南下。逆川沿い東光寺さんの一角にあります。諸説ある中、承平五年に朝廷により滅ぼされた平将門並び家臣の首を京に移送中、この地に於いて検視が行われその際に首を橋に掛けた事により、掛川の地名になったとか…。家臣の名が刻まれた墓碑は、今もきれいに祀られており、辺りを静寂な空気が包み込み、盛者必衰を感じる場所でした。また、近くには当時、首を掛けたと言われる橋の場所に新しい「将門橋」が掛かっています。
平将門にまつわる史跡です。関東で討ち取られた将門とその家臣十八名の首を埋葬した場所と言われている場所です。元は名前の通り十九の塚が別々にあったのですが、今は一つだけが残っているのだそうです。掛川に将門にまつわる史跡があるなんて驚きですね。行く前は苔むした古い五輪塔でもあるのかと思いきや、目新しい供養塔がずらりと並んでいました。いささか拍子抜けの感がありましたが、見方を変えれば、地元の人達にも大切にされているということなのでしょう。ところでかつて大河ドラマ「おんな城主直虎」で井伊直政の父、直親はこの地で家臣共々、今川方に討ち取られたと紹介されていました。しかしこの井伊直親という人物は井伊家の系図には書かれていますが、実在が確認できないのだそうです。実際、この史跡公園の案内にもその様なことは一言半句も書かれていません。単なるこじつけだと思います。
説明書きを読むと、自分の理解力が足りないせいか少し混乱将門公含む20人の首級をここらへんに埋葬したのか、町の名前からして家来19人なのか…将門公が好きな方は、色々と考察出来る場所だと思います。
| 名前 |
十九首塚史跡公園 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/life/kouen/shisetsu/eikikitaeria/juukusyudukasiseki.html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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将門公とその家臣の首級を洗い、検視した後、ここに埋められたと伝わる場所です。車で行く場合は、近隣の十九首公民館に駐めることができます。